2018年11月13日火曜日
高野ムツオ「吹雪くねとポストの底の葉書たち」(『語り継ぐいのちの俳句』より)・・
高野ムツオ『語り継ぐいのちの俳句-3・11以後のまなざし』(朔出版)、攝津幸彦と同年生まれだったこともあり、かつて「そして」という小冊子では、愚生も、ともに参加していた高野ムツオの書くものは、若い頃からほとんど眼を通してきたつもりだが、じつはここ二・三年の彼の仕事を丁寧には見ていない(雑誌・新聞などじつに想像を超える多くの仕事が彼にはあるからだ)。本書には講演録も収載されている。第十回「さろん・ど・くだん」は直接聞いているが、その他の講演は先日、と言っても数ヶ月前の現代俳句協会多摩の講演以外は聞いておらず、他は本書で通読するのが初めてである。
著者「あとがき」には、彼の向き合ってきた姿勢の良さが伺われる。
なぜ、俳句だったのだろうか。その後何度も考えたが、どうもよう答えが見つからない。ただ、言えることは、それまでも震災に限らず災禍にあって俳句を作り続けた人は数えきれないほどいたという事実である。ことに戦争という人災において、そうだった。
おそらく、俳句を作ることが自分の存在証明だったのだろう。危機にあって俳句の言葉の中に、自分の鼓動する心臓、脈打つ血を再確認していたに違いない。言葉で生(せい)を、自己存在を確認していたのだ。
そして、第三章は書下ろしの「震災詠100句 自句自解」である。
ブログタイトルに挙げた「吹雪くねとポストの底の葉書たち 平成二十九年」の句には、
正月過ぎの福島駅前のポスト。西口を出てすぐにある。粉雪が強風にしきりに舞っていた。そこに賀状の返礼や寒中見舞いなどが何通か重なっていると想像した。葉書には、避難先の親戚、知人宛に混じって、この世にはない人の名や住所がしたためられているのもあったかもしれない。岩手県大槌町の風の電話宛の葉書も混じっているかもしれない。旅立ちを待って、かさこそと囁く音が聞こえた気がした。
と自解がほどこされている。ともあれ、その第三章から句のみからになるが、句のいくつかを挙げておこう。
四肢へ地震(ない)ただ轟轟(ごうごう)と轟轟と 『萬の翅』平成二十三年
膨れ這い捲(めく)れ攫(さら) えり大津波 〃
車にも仰臥(ぎょうが)という死春の月 〃
瓦礫(がれき)みな人間のもの犬ふぐり 〃
億年の秋日を重ね地層とす 『片翅』平成二十四年
死者二万餅は焼かれて脹(ふく)れ出す 〃 平成二十五年
児童七十四名の息か気嵐(けあらし)は 〃 平成二十六年
人住めぬ町に七夕雨が降る 〃 平成二十七年
生者こそ行方不明や野のすみれ 〃 平成二十八年
狼の声全村避難民の声 平成二十九年
高野ムツオ(たかの・むつお) 1947年、宮城県生まれ。
撮影・葛城綾呂 アロエ↑
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