2018年12月10日月曜日
福田鬼晶「炉火恋し攝津幸彦論読めば」(『リュウグウノツカイ』)・・・
福田鬼晶第一句集『リュウグウノツカイ』(ふらんす堂)、愚生はかつて本屋の店員だった癖が抜けないせいか、本の奥付から読む。著者略歴が眼にはいり、そこに山口県防府市生まれ、とあった。愚生も山口県山口市の生まれ、隣りの市である。しかも父の療養時代(と言っても、たぶん離婚が成立していたと思うが)、母と弟と三人で防府市(三田尻と言った)に1,2年住んだことがある。防府高校には四か月在籍した。山頭火の故郷である。だが、当時は山頭火の名の欠片もなかった。大山澄太の尽力で句集などは発行されていたが、一般の人が手に取れるような本になったのはほぼ50年前、永六輔がラジオで紹介してブームになったあたりからだ。とはいえ愚生は、18歳で故郷山口を出て、ほとんど帰郷することなく、故郷は遠きに在りて思うもの、だった。にもかかわらず、同郷のナショナリズム?が親近感を生む。俳人では、現在活躍中の宇多喜代子、江里昭彦、山頭女・藤田三保子、杉山久子にもそうだ。
話を元に戻すと本集の序・石田郷子「とある物語」には、
鬼晶さんの物語は、華やかでもあり、怖ろしくもある。
物語とは、作者のための物語であると同時に、読者のための物語でもある。(中略)
リュウグウノツカイ吹寄せ春一番
まるで玉手箱の蓋を開けてしまったかのような、安らかな心持ちのこの句は、そんな物語の世界から、私たち読者を呼び戻してくれるためにあるのかも知れない。
としたためている。そして、「あとがき」には、いまや俳句界からは失われんとしている想いを、
もとより俳句は「詩」であると思い、今でもその思いは変わらない。自分にしか描けないイメージを言葉に表してきたつもりだ。ただ、独りよがりにならず、類想に陥らず(自句類想を含めて)というのは、かなりのところ狭い道だ。しかし、今後もそこへ分け入り続けていく他はないだろう。
と述べている。詩は志なりなのである。ともあれ、集中より、いくつか愚生好みの句を以下に挙げておきたい。
ダ―ザインダ—ザインとや青嵐 鬼晶
樺美智子忌十薬の白き闇
木晩(このくれ)とまた木晩とたどりたる
まるく照る蕃茄共同幻想論
広島忌物干す肘の眩しかり
鶏頭をつかみてけふの雨つかむ
騎馬戦の非戦の一騎体育祭
嘶きのあとの虚ろをしぐれけり
夭折や綿虫ついて行つてやれ
父の忌を母の忘るる冬椿
こんこんとありしんしんと冬の水
放哉忌うみ凪げば凪ぐ寂しさも
鹿尾菜刈り波に昨日の荒れ残る
福田鬼晶(ふくだ・きしょう) 1950年、山口県防府市生まれ。
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