金丸和代第一句集『半裸の木』(朔出版)、序は今井聖、その中に、「まさしく正統派写生句と言っていい」と述べた後で、
和代さんの句を読んでいくと、なんでもないものの形や風景が実に新鮮な様相をもって見えて来る。そしてその様相に驚いた後、実はその様相は、見える角度や虚飾の無い現実をそのまま(・・・・)写し取ったのだと解って来る。意匠を凝らした表現ではなく、むしろこれまでの俳句的情緒と技術を盛った意匠を剥ぎ取った後に現われてくる生々(なまなま)しいひりひりする「現在」だ。(中略)
現在只今を凝視しながら「写生」の意味を問い返す。
金丸和代は「街」という文学運動の橋頭堡だ。
と、言挙げしている。集名に因む句は、
デモ隊と十一月の半裸の木 和代
である。そして著者「あとがき」には、
一つの物をさまざまな角度から見る、流さず深める、わがままで良い、皆と同じであることに安住しない、いつもまっさらな目を持つ。どれも私が「街」の中で学んできたことです。
という。ともあれ、集中よりいくつかの句を挙げておこう。
鼻歌はインターナショナル昼の月
夏の湾「集会するな餌やるな」
耳の日とある雛の日の掲示板
木に登り人でなくなる春の夢
コンクリート渡る毛虫の全筋力
冬ざるるカートに増ゆる雑多な国
孕み猫紐がすうりきれさうに鳴く
屋上より見る屋上の花芒
鶏頭の襞の硬さは劣等感
管理組合鵯の集まる木を切りぬ
金丸和代(かなまる・かずよ) 1943年、高知県生まれ。
★閑話休題・・各務麗至「朝日吹く風」(「戛戛」第112号・第三次詭激時代通巻第156号・詭激時代社刊)・・
正字体旧字と/歴史的仮名遣いに耽溺した青春/の豊饒。/言葉の豊饒が茲にある。
「反時代的なほどに一貫して芸術至上主義的/志向をくずさず、/端正な文章をつづって・・・大河内昭爾」
と、原稿用紙にして約100枚少しの短編小説「朝日の吹く風」の在り様をも語ってくれている。本著の菜月は、その名前を父が蕪村の有名な句からつけたと聞かされているが、その菜月と交通事故にあって半身に障害をもった大地とのすずやかな物語である。「あとがき」には、
先号の「草子抄」は五年前の作品「セピア」だと記したが、今号「朝日吹く風」はそれより三年古い作品「明日がきて」である。(中略)
冊子編集や単行本や全集といろいろ試みていたことがはからずも文章修業や人間風景に思いをめぐらす勉強にでもなったような気がして、
人事といわず、日常といわず、何事も疎かにすることなく恙なく全てに最善を尽くすべく心がけて立ち向かってきたように思う。それというのも、
他人はわからなくても私は私が知りたくて私の未知と闘っていたのかも知れない。
と、人生にじつに誠実であるところは自ずと小説にも反映されているように思える。
撮影・葛城綾呂 1月20日、残念・ダイヤモンド富士↑
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