2月8日付「しんぶん 赤旗」の「金曜 名作館」のコーナーに、今泉康弘が「俳人 渡邊白泉 没後50年」ー繊細な感性と時代への不安ーを書いている。玉文である。中に、
1940年、新興俳句運動は治安維持法により弾圧された。白泉もまた検挙にあい、特高警察に連行される。だが、白泉は明確な反戦思想を持っているわけではなかった。白泉は一市民として、日常の中で感じる戦争への不安や違和感を見つめ、鋭く形象化した。戦争は怖いーそうした一市民の自然な感情さえも、戦時下ファシズムは許さなかった。
戦後、白泉は沼津の高校教師として後半生を過ごした。さらに今泉康弘は以下のように筆を継いでいる。
気の狂った馬になりたい枯野だった
わが頬の枯野を剃ってをりにけり
など、孤独と鬱屈を湛えた作品がある。白泉は教え子から、なぜ俳人として活動しないのかと問われて、今後また弾圧を受けるのが怖いからだ、と答えている。だが、その一方で湧き上がる作句意欲を止められず、一人で作句し続けたその矛盾を抱えて後半生の白泉は生きた。それは弾圧の傷を抱え続けることであった。
と結んでいる。自筆で浄書された全句集に相当する原稿が、そっくりそのまま、発見されたのは、白泉が勤めていた学校の金庫からだった。後に写真製版されて刊行された。
街燈は夜霧に濡れるためにある 白泉
銃後といふ不思議な街を丘で見た
鶏(とり)たちにカンナは見えぬかもしれぬ
夏の海水兵ひとり紛失す
一本の道遠ければきみを恋ふ
今泉康弘(いまいずみ・やすひろ) 1967年、群馬県生まれ。
琉球風画帖 ②明治橋↑ 画・ローゼル川田
★閑話休題・・ローゼル川田詩集『廃墟の風』/風景はパッチワークのようだった (あすら舎)・・・
ローゼル川田は多才の人らしい。絵も描かれているので、詩集のなかには、いくつかの挿画もある。先般の「奔」2号には、親泊ちゅうしん、という名で俳句を発表されている。七つの顔を持つ男ではないが、様々な顔を持っている。花デイゴ家族の墓は基地の中 親泊仲真(ちゅうしん)
の句は、2012年沖縄忌俳句大会の大会賞だったという。「あとがき」の冒頭に、
いつも何かを通り過ぎている気がする。
いつも何かが通り過ぎていく気がする。
強弱のない心象は強弱の現実に左右されている。
とある。ともあれ、本ブログの紙幅もあるので、短い詩を以下に紹介しておこう。
チルダイの色
いつの頃からか
仏桑華やクロトンの垣根はブロック塀になっていった
灰色の両脇のブロック塀を歩いていると
チルダイ・・・気だるくなる
灰色の路上
灰色のブロック塀
灰色の曇り空
チルダイは灰色の風景からきているのかもしれない
灰色は埃の色
青い海 青い空 観光のキャッチコピーの島々
赤や青や黄色を適当に混ぜると灰色になる
同時性として現れた灰色の迷路
チルダイの色
ローゼル川田(ろーぜる・かわた) 団塊世代、那覇市生まれ。
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