「新潮」3月号(新潮社)の前田英樹「保田與重郎の文学」連載第六回は、「第八章『道』をゆく俳諧」である。芭蕉論である。冒頭には、
保田與重郎が。昭和十八年秋に書き下ろしで刊行した『芭蕉』は、これまで一体どれだけあったか知れない芭蕉論のなかで、多分まったく孤絶したものだろう。これを肯うには、保田の思想全体を、批評の形を取ったその文学を、まるごと受け入れるしかないように思われる。そのように決心できる者が、果たして、今、どれくらいいるかー。
と記されている。続けて、保田與重郎『芭蕉』の「はしがき」に続く「祭と文芸」のなかほどの部分の言葉「つまり我々は俳句に於て、単なる文学上の修辞や形式を喜んで学ぶのではなく、芭蕉の志の道の上から眺めて、今の我身の行ひの活力としたいと思ふのである。 (中略)西洋の諸他の思想によつて、わが国民詩人の部分部分を抜き出して、誇張して多少面白く云ふ如きは、そこに一貫したものを知る志がないから、曲学阿世と評するのである」を引用したのち、前田英樹は続ける。
曲学阿世の徒に何がないかは言うまでもない。身ひとつを賭けて生きる志がないのである。ないからこそ、彼らは時勢に応じていくらでも説を変える。
と述べ、また、
芭蕉が掴んだ精神の系譜は、萬葉時代から続く大和歌(やまとうた)のなかにあった。大陸の、すなわち漢国(からくに)の文明の絶え間ない流入、圧迫、支配に対して、祭の文学たる大和歌を守り抜こうとする志のなかにあった。
あるいは、
秘められた、理によっては語り得ない志を、その「悲しみ」と「ゆたかさ(・・・・)」を同志と交換し合う場所であった俳諧を、芭蕉がとうとう極めたと感じた時、彼の周りには、もはや人はいなかった。見えるのは、慕わしい古人へのひと筋に繋がっている道だけであった。彼が晩年に唱えた「軽み」の極意は、「行く人なしに秋の暮」の嘆きとひとつになって、彼を自由にし、孤独にし、厳かな祈りで満たした。
と言うのである。また、こうも言う。
したがって、芭蕉の旅は、歌心ひとつを抱いて乱世を漂泊した西行の旅とは、性質が異なっている。芭蕉には、先人を慕い、大和歌の系譜に入らんとする懸命の心、身を削って果そうとする志があった。その意味で、彼が敢行した地を這う如き辛苦の旅は、詩人が宿す、黙した、慟哭の批評魂に満ち満ちていた。そのことが保田の心魂を直(じか)に打つのである。
加えて、芭蕉が「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における」と云々し「造化にしたがひ、造化にかへれとなり」と記したことについても、以下に言う。
ここで書かれていることが、芭蕉が「繋る」と言う「只此一筋」なのだろうか、そうではあるまい。「造化」とは、老荘思想からくる言葉で、総てを生み出す天地根本の働きのことだろう。その働きに従い、「四時を友」として生きれば、この世界の一切は、花であり、月である。だが、このように漠とした語調は、むしろ近代美学の喜ぶところで、芭蕉の言う「只此一筋」は、それよりはるかに語り難い具体の道であろう。歴史を貫流するひとつの血脈であろう。
たしかに、冒頭に述べられたように、多くの芭蕉論のなかで、保田與重郎『芭蕉』は、まったく孤絶したものかも知れない。それは、しかし、眞鍋呉夫が、いみじくも『芭蕉』(新学社・保田與重郎文庫11)の解説で、保田與重郎『日本の橋』と出会い、
たちまち、私がこれまでに出会ったことのない異様な文体が蛇行し、屈曲し、旋回しつつ、われわれの深部に眠っている未生以前の初々しい記憶を喚び覚ましてくいく。
曲学阿世の徒に何がないかは言うまでもない。身ひとつを賭けて生きる志がないのである。ないからこそ、彼らは時勢に応じていくらでも説を変える。
と述べ、また、
芭蕉が掴んだ精神の系譜は、萬葉時代から続く大和歌(やまとうた)のなかにあった。大陸の、すなわち漢国(からくに)の文明の絶え間ない流入、圧迫、支配に対して、祭の文学たる大和歌を守り抜こうとする志のなかにあった。
あるいは、
秘められた、理によっては語り得ない志を、その「悲しみ」と「ゆたかさ(・・・・)」を同志と交換し合う場所であった俳諧を、芭蕉がとうとう極めたと感じた時、彼の周りには、もはや人はいなかった。見えるのは、慕わしい古人へのひと筋に繋がっている道だけであった。彼が晩年に唱えた「軽み」の極意は、「行く人なしに秋の暮」の嘆きとひとつになって、彼を自由にし、孤独にし、厳かな祈りで満たした。
と言うのである。また、こうも言う。
したがって、芭蕉の旅は、歌心ひとつを抱いて乱世を漂泊した西行の旅とは、性質が異なっている。芭蕉には、先人を慕い、大和歌の系譜に入らんとする懸命の心、身を削って果そうとする志があった。その意味で、彼が敢行した地を這う如き辛苦の旅は、詩人が宿す、黙した、慟哭の批評魂に満ち満ちていた。そのことが保田の心魂を直(じか)に打つのである。
加えて、芭蕉が「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における」と云々し「造化にしたがひ、造化にかへれとなり」と記したことについても、以下に言う。
ここで書かれていることが、芭蕉が「繋る」と言う「只此一筋」なのだろうか、そうではあるまい。「造化」とは、老荘思想からくる言葉で、総てを生み出す天地根本の働きのことだろう。その働きに従い、「四時を友」として生きれば、この世界の一切は、花であり、月である。だが、このように漠とした語調は、むしろ近代美学の喜ぶところで、芭蕉の言う「只此一筋」は、それよりはるかに語り難い具体の道であろう。歴史を貫流するひとつの血脈であろう。
たしかに、冒頭に述べられたように、多くの芭蕉論のなかで、保田與重郎『芭蕉』は、まったく孤絶したものかも知れない。それは、しかし、眞鍋呉夫が、いみじくも『芭蕉』(新学社・保田與重郎文庫11)の解説で、保田與重郎『日本の橋』と出会い、
たちまち、私がこれまでに出会ったことのない異様な文体が蛇行し、屈曲し、旋回しつつ、われわれの深部に眠っている未生以前の初々しい記憶を喚び覚ましてくいく。
と述べたような、何かが呼び覚まされるような感覚に通じているのかも知れない。
愚生は、生前の眞鍋呉夫に、これだけは、読むべきだと勧められた一冊の本がある。それは、戦後公職を追放されて書かれた『絶對平和論』であった(眞鍋呉夫はその頃、反戦ではなく非戦を言っていた)。内容はあらかたを忘れてしまったが、稲作を基本とした、永遠の循環を生きる暮らしのなかにこそ平和がある、というようなものっだったように思う。そうして築かれていく暮らしには、侵略する争闘はないと主張されていたような・・。ともあれ、しばらくは、前田英樹「保田與重郎の文学」の連載を楽しみにしたい。
愚生は、生前の眞鍋呉夫に、これだけは、読むべきだと勧められた一冊の本がある。それは、戦後公職を追放されて書かれた『絶對平和論』であった(眞鍋呉夫はその頃、反戦ではなく非戦を言っていた)。内容はあらかたを忘れてしまったが、稲作を基本とした、永遠の循環を生きる暮らしのなかにこそ平和がある、というようなものっだったように思う。そうして築かれていく暮らしには、侵略する争闘はないと主張されていたような・・。ともあれ、しばらくは、前田英樹「保田與重郎の文学」の連載を楽しみにしたい。
★閑話休題・・青木空知「初氷知らせむと歩をもどしたり」(選者・池田澄子《岩波俳句》「世界」(岩波書店)4月号より)・・
選者・池田澄子による「岩波俳句」。兼題があり、今月の特選の句の兼題は「木」もしくは自由題で、特選句三句と池田澄子の俳句理念を語ったエッセイ、選ばれた佳作が30句掲載されている。他の二句の特選句は次の通り。
ふやけたる経木の蓋に春の風 横浜市 徳山雅記
まだ止まるな止まるな独楽にらむ子よ 豊島区 朋 代
「投句のお願い」が掲載されている。
・6月号の兼題は「鳥」の字を入れた句、もしくは自由題、締め切り3月15日必着。
・7月号 〃 「皿」 〃 締め切り4月15日 〃。
・投句方法は、郵送、Eメール、WEB投句フォーム。
住所、氏名、年齢、連絡先など、未発表作品に限るとある、詳細は「世界」(岩波書店)を直接ご覧あれ!
撮影・葛城綾呂 去りゆく日照 ↑
ふやけたる経木の蓋に春の風 横浜市 徳山雅記
まだ止まるな止まるな独楽にらむ子よ 豊島区 朋 代
「投句のお願い」が掲載されている。
・6月号の兼題は「鳥」の字を入れた句、もしくは自由題、締め切り3月15日必着。
・7月号 〃 「皿」 〃 締め切り4月15日 〃。
・投句方法は、郵送、Eメール、WEB投句フォーム。
住所、氏名、年齢、連絡先など、未発表作品に限るとある、詳細は「世界」(岩波書店)を直接ご覧あれ!
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