2019年3月24日日曜日

志鎌猛「森がいい写真を撮らせてくれる」(「観照/志鎌猛展」)・・・



          志鎌猛・松崎由紀子夫妻 ↑

 「観照ー志鎌猛展」〈於:日本橋高島屋S.C本館6階美術画廊X、3月20日(木)~4月8日(月)、午後10時30分~午後7時30分〉に出かけた。日本では5年ぶりの個展だという。リーフレットの冒頭に、

 志鎌猛は2008年より、デジタル全盛の現代とは対極にある、プラチナ・パラジウム・プリントに取り組んでいる写真家です。
 19世紀後半にイギリスで発明された古典的写真技法と、日本伝承の手漉き和紙・雁皮紙を用いて印画紙を自作するところから始めるという、経験がものをいう世界、そうした中で自らの身体を通すことによって、微妙な諧調と繊細で美しいモノクローム作品を生み出しています。
 創作過程は全てが手仕事のため、プリントで一枚一枚思い描く色を表現していくのが非常に難しく、一作品あたりのエディション枚数も限られてきます。技術と表現をマッチさせることが自身の写真であるとし、写真を”撮る”ということよりも”つくる”ことに近いと作家は言います。

 と記されている。そのことを夫人の松崎由紀子はエッセイ「雨のガリシア」(2014年2月24日)のなかで、

 デジタル全盛の時代にあって、その対極にあるすべて手作業で行う工程は、集中力と根気のいる世界で、はじめにテストピースを作り、データをとっても、その日の気温や湿度に微妙に影響されるなどして、思い通りの仕上がりは容易には得られない。何枚かに一枚の出来のいいプリントも、よく見れば、空に小さな黒点が浮かんでいて台無しだったりする。謎の失敗の多さには、ガリシアの魔女がついて来て悪戯をしているのではと、疑いたくなるほどだ。それでも猛は、プラチナプリントと雁皮紙の緻密な表現に心を込めたいのだ。
 彼が焼き付けた風景は、ガリシアの人たちにとって見馴れた森や川、海だろうか。それとも、見知らぬ風景に映るだろうか。

 と述べている。そうした撮影の旅は文字通り二人三脚で臨んでいる。聞けば、そのプリントのために、彼は、食事もそこそこに、12時間も立ち続けることもあるそうだ。撮影は多く、山や森の奥に入り、一瞬のシャッターをきるために、キャンプを張り、待ち続けることもある。彼が、愚生と同齢であることを思うと、いよいよ体力の限界との勝負だと、命がけに近い行為だと、ひたすら自愛を祈りたくなる。幸運なことに、10年ほど前の胃癌の手術以外は健康で、その痩身の佇まいとあいまって、見かけによらず、愚生よりタフのようだ。そして、志鎌猛は言う。

じっと見る・
そうしていると、ふとした瞬間、眼の前にある風景の向うから、私を呼ぶ声が聴こえてくる。
その声を合図にカメラを据えて、私は一度だけシャッターをきる。
一期一会の写真。それは私が撮ったのではない。眼には見えないなにかに撮らせてもらったものだが、(中略)
そして、現像液を浴びせると瞬時に浮かび上がる画像に息を呑む。
そこにあのときが宿ってくれていると信じたい。

 リーフレットのパブリック・コレクションにはフランス国立図書館、サンフランシスコ近代美術館、ブランツ写真芸術美術館、サンディエゴ写真美術館、、ヒューストン美術館、ポートランド美術館、サンタバーバラ美術館、清里フォトミュージアム、エルメス財団など、また、個展の開催も海外でのものが多いようである。
 ともあれ、日本橋方面にお出かけの際はご一覧あれ。その価値があると思う。

 志鎌猛(しかま・たけし) 1948年、東京生まれ。


★閑話休題・・現代俳句協会総会・懇親会・・・


 志鎌展を出て、上野東天紅で開催されている現代俳句協会通常総会・懇親会に出席した。昨年、70周年記念大会祝賀会にも出席しなかったので、久しぶりに旧知の方々との挨拶ができた。二次会は近くのラウンジで、数年ぶりに、高岡修、高野ムツオ、渡辺誠一郎、武馬久仁裕、高橋比呂子、網野月を等と少しゆっくり話ができた。春とはいえ真冬が戻ったような寒い一日だった。


0 件のコメント:

コメントを投稿