2019年4月6日土曜日
栗原澪子「改竄といふコシャコシャした文字忖度といふヘコへコした字を連れて現はれ」(『独居小吟』)・・
栗原澪子第二歌集『独居小吟』(コールサック社)、解説は鈴木比佐雄「『澄んだ一本の光のように』短歌を詠む人」、その多くは栗原澪子の既刊4冊の詩集と第一歌集『水盤の水』にまつわり、また著者の地元での保育所作りの記録集『保育園ことはじめー人と時代とー』などを、懇切に評し、費やされている。その結びは、帯文にも記されている以下の惹句になっている。
栗原澪子氏の短歌はかつて師・菅原克己が指摘していた「澄んで一本の光のように」紡ぎ出されている。そんな今を真剣に生き他者の痛みを自己に問い掛け、共によりよく生きようとする短歌の試みを多くの人びとに読んで欲しいと願っている。
因みに本歌集には、2012年から2019年初めまでの324首が収められている。その著者「あとがき」には、
自分の時間が欲しい、そう渇望しながら私の人生は長らく過ぎていたように思われます。多分そのころ私は自分の人生を六十年くらいに考えていたようです。
ところが、予想外なことにその限定は三十年ちかく延びていて、しかもまるまるの独りぐらしの月日もすでに十八年。体力も経済力もきわめて乏しく、準備なしの老居独居ですのに、若いころの渇望感のなせるわざか、与えられたたっぷりの独りが、ずいぶんと私には有難いものになりました。もちろん、これも家族(離れてくらすとはいえ)、友人あってこそのたまもの、と心に銘じています。
とある。じつに充実した人生をおくられている。ともあれ、集中より以下にいくつかの歌を挙げておきたい。
二度目覚めそのたび夢を見てゐしが朝(あした)見まはす雪庭の夢 澪子
一緒に歩きたしと友ら言へりSさんは大腿骨骨折Mさんは肺水腫
両サイド警官多しパレードの数と見なしたいところ声かけたいところ
洗濯板の思ひつきはよし反原発節電プランよりもよろし
十九歳春南太平洋への出帆は生業・壮健・仲間・故郷奪ひき
わが背なも何か臭はせてゐるのがらうか としても羊の臭ひにあらじ
代々木体育館別館のだだびろき床に散らかりゐし絵本泣き声
(一九六〇年、母親大会臨時保育所)
独居にも強き声帯は必要なりアラッとかオッとかヨオシッ
告げられし余命のときになりてみれば八十余歳も足らぬごとしと
「欠席」にためらひもなくマル付くるこの身の軽さことほぐべきや
近づくこと禁じられゐし飯場なる遠目の小屋の紅き髪花
脅迫症・癌・動脈破裂 人にさきがけ患ひしわがこの年の命の不思議
母の忌は敗戦記念日平和日本ちやうど一年目の自死もありたり
褒め言葉過剰にありしこと祝ふ会より帰れば考(おも)ふ
栗原澪子(くりはた・れいこ) 1932年、埼玉県うまれ。
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