2019年5月23日木曜日
蕪村「ちるさくら落つるは花のゆふべかな」(「オルガン」17号より)・・
「オルガン」17号の「連句興行 巻捌/脇起 オン座六句『ちるさくら』の巻」、「璞・捌/抜け芝・指合見」の留書は福田若之。その留書に、
脇起で連句を巻くことは、ひとつには、一句を活きた俳諧の発句として読み直すことにもなるはずです。もちろん、連句がその名で呼ばれるようになったのは、すでに明治も半ば過ぎののちのことですし、、このことからわかるとおり、俳諧もまた絶えず移ろいゆく文芸です。しかし、まさしく俳諧がそのように活きつづけているからこそ、今日もなお、僕たちは一句を活きた俳諧の発句として読みなおすことだできるのだと思います。
とある。その脇起のための発句が、ブログタイトルにあげた、蕪村「ちるさくら落つるは花のゆふべかな」である。
ところで、本誌本号のメインは座談会Ⅰ(前編)・Ⅱ(後編)の「筑紫磐井「兜太・なかはられいこ・『オルガン』を読む」である。もとはと言えば『WEP俳句年鑑』2019年版の筑紫磐井「兜太・なかはられいこ・『オルガン』-社会性を再び考える時を迎えて」をめぐる「オルガン」メンバー4名、田島健一・鴇田智哉・福田若之・宮本佳世乃による座談会で、Ⅰは主に筑紫磐井の論をめぐって、Ⅱは具体的な句作品をめぐって、自らの問題点を剔出していこうとする内容である。
そのなかで兜太について、福田若之は、
福田 (前略)シュルレアリスムみたいな方向には、兜太はとても懐疑的なんですよね。時代的にも、兜太の論が書かれたのは、ちょうどサルトルの思想が日本へ本格的に輸入されはじめていたころです。アンガージュマンの発想が兜太の中に入り込んでいる感じがする。あくまでも推測ですが、晩年の兜太の言う「存在者」なんていうのも、直接にハイデガーというよりも、むしろサルトルを経由したハイデガーなのかも知れません。(中略)だから、兜太を理解する上では、「造型」の問題と「社会性」の問題とをあまり分けすぎないほうがいいのかな、とは思っています。
と述べている。ここからは、余談になるが、愚生は、兜太に一番影響を受けた思想につて、直接、兜太の口から(いつどこでは失念しているが)「オレが一番影響を受けたのは実存主義、サルトルの実存主義」と出たのだけは覚えている。そのことを思い合わせると、福田若之の言は当たっているように思う。
兜太は、コミュニズム運動のなかで、政治的な利用主義については、警戒心をもって、注意深く接しているように思えた。それはたぶん、彼が、かつて日銀従業員組合の組合長の経験によるものだと思う。兜太が「アベ政治を許さない」を揮毫したのは、頼まれたのが澤地久枝だったから揮毫したのであって、もし、正面きっての政党からのものであったら、断っていたであろう。大江健三郎らの「九条の会」つながりでの揮毫だったと思う。政治的発言は、もっとも政治に利用されることを知っていたのは兜太であろう。その警戒心と自らの処し方についてのエピソードもあるが、話せば長くなるので割愛する。
ともあれ、以下に本誌より一人一句を挙げておこう。
珈琲この世にまざりあう春と夜 田島健一
ぐつたりと目のある凧の懸りをり 鴇田智哉
闘鶏が花の姿にもつれあう 福田若之
十薬の花クレヨンを深く塗る 宮本佳世乃
★テーマ詠「はらう」より・・
逃げ水に顏のかさなりゆくごとし 田島健一
紐をゆらすやうに春の蚊をはらふ 鴇田智哉
煤け笑ううつけあけすけ修羅うらら 福田若之
蝶番蝶蝶蝶蝶蝶蝶鰈 宮本佳世乃
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