2019年5月5日日曜日
藤田踏青「毎晩尋ねてくる今日の遺失物係」(年間句集2018自由律俳句『きやらぼく』より)・・
藤田踏青の便りによると、自由律俳句誌「きやらぼく」は鳥取県倉吉市から出されている俳誌で、戦後、昭和26年に「ペガサス」として発行後、「梨の花」から昭和57年に「きやらぼく」(月刊)へと誌名が変わって、現在443号だということである。師系は荻原井泉水「層雲」だが、各結社や各地からの参加者も多くなっているという。
その「きやらぼく」の年間句集2018自由律俳句『きやらぼく』(きやらぼくの会)の序は山田風人。それには、
(前略)言の葉に「言霊」をみた古の面影はない。多くの者は依って立つべき自らの二本の足を忘れ、「私」の言葉・力で立ち上がる事を投げ出している。(中略)
きやらぼくとは、句と、言葉と、真摯に格闘した先達が残された言霊の集積である。「平成」から「令和」へと世は移るが、きやらぼくの存在意義は変わることはない。
とある。また、三好利幸「あとがき」には、
「きやらぼく」は師範のいない道場であり、会員のそれぞれがそれぞれの作品を持ち寄って批評を受け、他者の作品を評する、いわば乱取り稽古や鍛錬の場と称してよいだろうし、師範はなくとも、一目置く相手や競争相手は認めることができるだろう。その道場で切磋琢磨することによって、会員それぞれが〈よりよい〉俳句を生み出す術を学ぶのであり、〈よりよい俳句〉を見い出す目を養うのだと言えよう。
と記されている。ともあれ、その成果の一冊から一人一句を以下に挙げておきたい。
膝上の形なき温もり両手で掬う 天野博之
沈丁花の雪はらえば枝からは春のあいさつ 幾代良枝
渇くこころ枯れ葉落とす森の音 後谷五十鈴
余白は余白のままでいい小鳥が止まる 谷田越子
美しい沈黙だったラムネ瓶 中島かよ
燃料を探しているぞのぞき魔 中筋祖啓
済んだことにして爪を塗る 野田麻由可
エプロン広げて一瞬の陽だまり 広瀬千里
「哀し」を拾い集めては暖まる 藤田踏青
忘れ傘取りにきて雨を忘れている 前田佐知子
舞酔いながらおぼれて今宵 増井保夫
革命はかすかに静脈注射の針がずれる 三好利幸
廃屋つぶしたあとのこれだけか 無 一
元気雨おちてじっとしをらず 山根智行
犬の鼻で花びらが寝ている 山本弘美
過去から落葉した一枚の欠礼 ゆきいちご
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