辻内京子第二句集『遠い眺め』(ふらんす堂)、帯の惹句は小川軽舟、それには、
身近で親しい情景なのに、なんて静かなんだろう。/それを遠く眺める目は、生きてきた時間を見ているのかもしれない。/私は辻内さんと同世代だから、とりわけそう感じる。/思わずその時間を呼び止めたくなる。
と記されている。集名の由来については、著者「あとがき」に、
句集名『遠い眺め』は「目の前を遠く眺めて春焚火」に拠ります。春焚火を眼前にしたときの心理であり、言うなれば人生の実相であると思います。眼の前のことだけにとらわれていると決して見えないこと、それはちょっとした心の置き方によって気づくことができます。日常の中で見えるものや景色を詠む。そこにもう一歩先にある世界が立ち現れ句に重層性が生まれる。それが私の目指す俳句表現です。
と、言挙げされている。このところ「鷹」創刊55周年を記念してか、「鷹」連衆の書物の上木が続いている。ともあれ、以下に印象に残った句の中からいくつか挙げておきたい。
心よりからだ素直や水澄めり 京子
雪だるま片側暮れてゐたりけり
炎昼の港やジープ錆びてをり
フライドチキン骨の血のいろ冬の海
振りかえりつつ遠ざかる日傘かな
父のため作る一間やゆすらうめ
亡き人の白桃つよく匂ひけり
いちじくを食ふ唇のゆゆゆゆと
次のなき約束クリスマスキャロル
篳篥は立ち上がる音や堂涼し
信号に人は従ひ秋の暮
辻内京子(つじうち・きょうこ) 昭和34年、和歌山県生まれ。
★閑話休題・・関口比良男「しかばねのひとつがふいに咳をする」(「現代俳句」8月号より)・・
「現代俳句」8月号(現代俳句協会)の「直線曲線」に山﨑十生は「八月に思うこと」と題したなかに、以下のように述べている。
(前略)関口比良男の言葉に「無季を容認し、口語を容認し、破調を容認するのは作家としての真情を尊重するからである」がある。これは、俳句の基本的なあり方であり、「有季・定型・旧かな」を絶対条件と決めつけてしまうことは危険である。それは、個人的な理由に過ぎず「有季・定型・旧かな」のお題目を押し付けることは作家としての真情には程遠い。自由で柔軟な態度こそ、俳人としてあるべき姿である。(中略)
「紫」の師系が、ホトトギスの流れに分類されているのは、関口比良男が、上林白草居がホトトギスの有力同人だったから無理もないことである。しかし、「紫」の師系は、関口比良男が、富澤赤黄男・高柳重信等と同人誌活動を共にしたことのほうが、「紫」の系譜として本流ではないかと私自身は思っている。
以下は、同誌同号同文中の山﨑十生の句である。紹介しておこう。
もう誰もいない地球に望の月 十生
合歓の花被曝元年生まれかな
アフガンの冬 青空で飢え浚ぐ