2019年12月3日火曜日

岸本マチ子「ペガサス座父に暴言投げしこと」(『鶏頭』)・・・



 岸本マチ子第7句集『鶏頭』(本阿弥書店)、著者「あとがき」には、

  ゆく河の流れは絶えずして
  しかももとの水にあらず     (『方丈記』)

 なんと美しく切ない文章であろうか。八十五歳ともなるとそれが良く分かる。いつの間にかそんな年になってしまった。幸せも悲しみも川の流れのように時とともに過ぎてゆく。わたしには一体なにがあるのだろうか。何もなくていい。ただ一つだけ爪痕が残せるならば、そんな世迷言をいってみる。

 とシンプルに記している。八十五歳、そんな嫗になられたのか、と思う。それはそうだ。愚生だって、今月で七十一歳だ。攝津幸彦健在のころの「豈」同人であり、当時、「豈」同人としては、いち早く現代俳句協会賞を受賞された。本郷菊坂の和風旅館で「豈」の再出発の合宿に、遠路沖縄から参加された。攝津幸彦とは合宿の前段に、浅草ビューホテルを下見したが、予約で満室、愚生が本郷界隈の修学旅行生向けの旅館を探しているうちに格安ながら、庭付きの旅館に当たった(名は失念)。筑紫磐井が、その折の句会で、たしか「色事や雪見障子の向かうがは」の句をだしたのを記憶している。「豈」の現在の同人・羽村美和子、中村冬美は、岸本マチ子の「WA」同人であり、彼女の紹介によって「豈」に入られた。
 本集名にかかわる句がいくつかある。例えば、

  鶏頭花あがり目さがり目いまあがり目   マチ子
  鶏頭の炎につまづくわたしいて
  鶏頭花かみきる色のまがまがし
  鶏頭のとさかの様に猛り立つ
  
 ともあれ、本集より、他のいくつかの句を以下に挙げておこう。

  驟雨きて乳房あるかぎり揺れる      
  まんじゅしゃげささえているのはわたしです
  かつて激戦という地の赤とんぼ
  春の蚊にまだ耳も目もまけません
  正論も煩悩のうち春うれい
  さがりばなかつて戦火の川うめる
  ちんちろりんちんちろりんと泣き疲れ
  首里の坂より隊列を組む蝶のいて
  極楽へ手足ふんばるあめんぼう
  ずーっと異端これからも異端羽抜鳥
  あの世へはまだです駄目です心太
 

 岸本マチ子(きしもと・まちこ)昭和9年群馬県生まれ。





★閑話休題・・「よみがえる俳人たち 忌日特集/12月」(於:俳句文学館・図書室)・・


 俳句文学館では、今年から、毎月、当月に没した俳人の著作物や短冊などを展示している。12月に特集された忌日俳人は、田中裕明、夏目漱石、楠本憲吉、福永耕二である。この展示担当者名に筑紫磐井とあった。愚生はちょっと調べものがあったので、久しぶりに俳句文学館に行ったのだが、俳人協会理事会があるとかで、角谷昌子と小澤實、帰路の途中で、小島健、片山由美子に、これも久しぶりに会って挨拶した。
 もっと珍しい偶然は、愚生が一時期顧問をしていた文學の森「俳句界」副編集長の松本佳子が特集記事のための資料閲覧のために来ていたことに出くわしたことである。元気そうで何より・・・だった。



撮影・鈴木純一 ↑

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