2019年12月17日火曜日
檀一雄「モガリ笛いく夜もがらせ花ニ逢はん」(『檀一雄の俳句の世界』より)・・・
二ノ宮一雄『檀一雄の俳句世界』(東京四季出版)、著者「あとがき」の冒頭には、
私が檀一雄年生に初めて会ったのは、昭和四十三年(一九六八)一月六日の夜、東京都練馬区石神井の檀邸で擁された先生が編集発行人だった季刊文芸誌「ポリタリア」の創刊祝賀会であった。私は二十九歳で小説家志望の文学青年だった。檀先生は壮年の五十六歳でそれから七年後に亡くなるなどとはとても思えなかった。
とある。檀一雄は昭和51年1月2日に死去し「花逢忌(かおうき)」という。愚生はかつて、眞鍋呉夫(天魚)には、レンキスト・浅沼璞に連れられて、関口芭蕉庵で、突然、連句をやらされたり、ご自宅に伺ったことがある。奥様の手料理もいただき、帰りには、手作りの漬物もいただいた記憶がある。第二句集句集『雪女』が出る前のことで、俳人としては、ほぼ無名だった(『雪女』は歴程賞、讀賣文学賞)。その眞鍋呉夫の最晩年、福岡市文学館で「檀と眞鍋」展が開催され、その図録の表紙には、
君は、檀一雄に会ったことがない?
それは可哀相ですね。
いや、ひょっとしたら幸せかもしれないな。
真鍋呉夫
と、記されていた。その檀一雄と二ノ宮一雄は「ポリタリア」の同人だった。そして、眞鍋呉夫とのことについても述べている。
(前略)私は小説を六編掲載してもらった。とにかく当時の私は小説に夢中だった。
が、事務局長を務めていた眞鍋先生が私たち事務局員(数年経って私はその一員に加えられた)五人を自宅に招待してくれたとき、
「句会をやりましょう」
と私たちに短冊状の紙片を配り、
「いつの季節のものでもいいので二句出して下さい」
と言った。
真鍋先生のことを小説だけの人と思っていた私は、先生の最初の本が句集だったことも知らなかったので、奇異な感じを覚えた。(中略)
そして、二十年後、何よりも自分自身が飯田龍太先生の詩魂に惹かれ俳句にのめりこむなどとはそれこそ夢にも思わなかった。
眞鍋呉夫句集『雪女』の初版の帯文は飯田龍太だ。これも不思議な縁というべきかもしれない。本書は、二ノ宮一雄の主宰する雑誌「架け橋」に平成25年(6号)から平成31年(31号)まで連載されたものに加筆されたものである。
現在、「石神井公園ふるさと文化館分室 特集展示」で「檀一雄の俳句の世界」が開催されている(上掲写真)。
会期:10月5日~12月22日(日)
会場:石神井公園ふるさと文化館分室展示室
ともあれ、本書より、孫引きになるが、いくつか檀一雄の俳句を以下に挙げておこう。
潮騒や磯の小貝の狂ふまで 一雄
詩に痩せて老師身近し麦の笛
手鞠つく童女一人居て櫨赤し
ふみ九歳 誕生祝い
姫うつぎ見つつ祝ぐ子の盛り
太郎に
地の果てに立つや虚空の石の色
昭和四十五年四月4日 リツ子忌
君去りていとど懈き花の色
ヨソ子に
白髪の共に混れば霜も花
國敗れ妻死んで我庭の螢かな
酒無しの我が眼に「酔」の青葉哉
梟の夢にもたける鬼火哉
寂しさやひとの行くてふ人の道
無慙やな吹雪する夜の親の胸
二ノ宮一雄(にのみや・かずお) 昭和13年 東京都八王子生まれ。
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