好井由江第四句集『風見鶏』(ウエップ)、平成25年から令和元年10月までの作品333句を収める。著者「あとがき」に、
題名の「風見鶏」は、洋館の屋根などにとりつけられた鶏を摸ったもので、どんな風にも応えて回る姿はどこか憧れ的なものがあり、これまでにいくつかの句に詠んできました。また、俳句を作る上であらゆる対象に順応できる風見鶏のようにありたいとも思いもあります。
と記されている。集名に因む句は、
啓蟄の日なり晴れなり風見鶏 由江
である。ブログタイトルに挙げた「桐咲いて鳥いて小宅容義忌」、小宅容義(やすよし)の忌日は5月27日。2014年に亡くっているから、もう5年が経つ。新宿歌舞伎町の飯屋「ひょっとこ」を経営し、愚生はそこで波田野爽波に初めてあった。愚生が小宅容義に出会う前、版元が深夜叢書社というだけで、彼の句集『火男』を買った思い出がある。当時の愚生ら、若い俳人の面倒はよく見られていた。お陰で、同人誌「雷魚」にも二度ほど執筆させていただいた。ともあれ、本集より、愚生好みになるが、いくつかの句を挙げておこう。
稲妻と機嫌の悪い蛇口かな
蝶々のどこつまんでもされるまま
重そうに鶯餅をつまみたる
かくし絵の真っ白な馬五月くる
列の中に犬いる三島由紀夫の忌
草笛は鳴らず草笛吹いている
赤まんまなりに雨粒とどめたり
きのうよりひしゃげて霜のサッカーボール
鶏頭を倒せばけむり立てて冬
太陽は片手で隠れ薔薇の昼
好井由江(よしい・よしえ)1936年、栃木県生まれ。
★閑話休題・・・米山光郎「湯豆腐や俳句は一字にてくづれ」(『どんどの火』)・・・
ウエップつながりで、米山光郎第四句集『どんどの火』(ウエップ)、集名に因む句は、
母が名を甲州紙にどんどの火 光郎
著者「あとがき」の中に、
百歳を過ぎた母が、甲州紙に自分の名前を書いて燃やしたことがある。母がどんな気持ちで燃やしたのかは知らないが、どんどのぬくもりが私の心に残っていることはたしかである。母は今年百六歳。健康である。
と記されている。 師の石原八束を詠んだ句も多い。
桜散る中に八束の声を追ふ
八束亡し小日向坂に卯つ木咲く
八束生誕の地
秋咲きのたんぽぽ晴れの八束の地
ともあれ、集中いいくつかの句を挙げておこう。
栗の風空井戸の闇のぼりくる
べそかきのべそにしほからとんぼかな
清貧のいのちありけりががんぼう
仏壇に火蛾のきてゐる敗戦忌
龍太逝く
きさらぎの谷川に舞ふひかりあり
くれぎはのひかりをひいてねこじやらし
米山光郎(よねやま・みつろう) 1938年、山梨県生まれ。
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