佐藤日田路第一句集『不存在エネルギー』(俳句アトラス)、跋文は林誠司、その中に、
この『不存在証明』は四季別に作品がまとめられているが、各章毎に「楽章」「輪舞」と分けられ、「輪舞」には数句毎に「タイトル」が添えられている。これは「タイトル」を含めて、一連の作品群の、”言葉の響き合い”を味わっていただきたい、という意図からである。この少し変わった表現手法は、彼がこれまで特定の俳句の師をもたず研鑽してきた、ということもあろうが、歌人の父、詩人の母の元に育ったということも大きい。
と記されている。表紙の写真も著者自身ものだが、著者「あとがき」には、
誰しも、己の死と向い合うときが来る。小学五年のとき、このいま母が死んでいないか不安になった。間もなく、自らの死を想像するようになたt。そのとき私の肉体も意識も永遠に無くなる。恐怖の余り拳で風呂場のタイルを撃った。痛みが、恐怖をしばし紛らわせてくれた。
父は歌人、母は詩人だった。私は十代から詩を始めた。詩には、俳句のような表現上の制約がない。その分、内面を露出することになる。得体の知れない自己表現の願望と自己嫌悪が混在していた。
とある。集中に、次のくがあるが、
アネモネや姉は美しモネは眩しき 日田路
この句は、愚生には、攝津幸彦の、
姉にあねもね一行二句の毛は成りぬ 幸彦『鳥子』(1976年刊)
の句が思い起こされるが、この句の改作前、『姉にアネモネ』(1973年刊、攝津26歳)のときは、
姉にアネモネ一行一句の毛はなりぬ
だった。再録時に「一句→二句」改作されたのだが、4年の月日が経っている。句の難解さからいえば、攝津句になろう(攝津のもっとも難解だった時期の句だから、やむを得ない)。ともあれ、以下に『不存在証明』からいくつかの句を挙げておこう。
十六夜のちちこんこんと老いてゆく
上あごに海苔がくっつくだれか死ぬ
崩れざるもの陽炎の真ん中に
ふつふつと花積もりゆく完新世
長生きを生業として春の象
合掌を沖へとひらく平泳ぎ
更衣人のままではおそろしい
下駄箱はたまに私書箱秋夕焼
佐藤日田路(さとう・ひたみち) 1953年生まれ。
★閑話休題・・大木あまり「短日のまぶた押さへてもの申す」(「雲」第73巻)・・
「雲」第73巻(編集・発行人 伊藤眠)、伊藤眠おられる。掲載されている俳人の中で、幾人かお会いした方もいらっしゃるので、その方々の一句を挙げておきたい。
鶏頭や風にも険があると言ふ 大木あまり
ひやわいと呼ぶこの路地乱歩の黒マント 大西健司
蕎麦食べて年の終りを啜り込む 川名将義
千人の歌声一陽来復 劒物劒二
朝の陽や犬が転がる無垢の雪 加賀谷三棹
梅東風や横須賀港の果て辺野古 織本瑞子
氷る旗振りたる父を恋いにけり 秋野美広
鳴き竜の天衣無縫の柳の芽 椿山静女
背中からひとは乾いて大花野 なつはづき
銀河にも誕生と死よ火酒あおる 伊藤 眠
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