2020年2月5日水曜日

佐藤日田路「冬銀河わたくしというえねるぎー」(『不存在証明』)・・



 佐藤日田路第一句集『不存在エネルギー』(俳句アトラス)、跋文は林誠司、その中に、

 この『不存在証明』は四季別に作品がまとめられているが、各章毎に「楽章」「輪舞」と分けられ、「輪舞」には数句毎に「タイトル」が添えられている。これは「タイトル」を含めて、一連の作品群の、”言葉の響き合い”を味わっていただきたい、という意図からである。この少し変わった表現手法は、彼がこれまで特定の俳句の師をもたず研鑽してきた、ということもあろうが、歌人の父、詩人の母の元に育ったということも大きい。

と記されている。表紙の写真も著者自身ものだが、著者「あとがき」には、

 誰しも、己の死と向い合うときが来る。小学五年のとき、このいま母が死んでいないか不安になった。間もなく、自らの死を想像するようになたt。そのとき私の肉体も意識も永遠に無くなる。恐怖の余り拳で風呂場のタイルを撃った。痛みが、恐怖をしばし紛らわせてくれた。
 父は歌人、母は詩人だった。私は十代から詩を始めた。詩には、俳句のような表現上の制約がない。その分、内面を露出することになる。得体の知れない自己表現の願望と自己嫌悪が混在していた。

とある。集中に、次のくがあるが、

  アネモネや姉は美しモネは眩しき     日田路

この句は、愚生には、攝津幸彦の、

  姉にあねもね一行二句の毛は成りぬ    幸彦『鳥子』(1976年刊)

の句が思い起こされるが、この句の改作前、『姉にアネモネ』(1973年刊、攝津26歳)のときは、

  姉にアネモネ一行一句の毛はなりぬ

だった。再録時に「一句→二句」改作されたのだが、4年の月日が経っている。句の難解さからいえば、攝津句になろう(攝津のもっとも難解だった時期の句だから、やむを得ない)。ともあれ、以下に『不存在証明』からいくつかの句を挙げておこう。

  十六夜のちちこんこんと老いてゆく
  上あごに海苔がくっつくだれか死ぬ
  崩れざるもの陽炎の真ん中に
  ふつふつと花積もりゆく完新世
  長生きを生業として春の象
  合掌を沖へとひらく平泳ぎ
  更衣人のままではおそろしい
  下駄箱はたまに私書箱秋夕焼
  
 佐藤日田路(さとう・ひたみち) 1953年生まれ。




★閑話休題・・大木あまり「短日のまぶた押さへてもの申す」(「雲」第73巻)・・


 「雲」第73巻(編集・発行人 伊藤眠)、伊藤眠おられる。掲載されている俳人の中で、幾人かお会いした方もいらっしゃるので、その方々の一句を挙げておきたい。

   鶏頭や風にも険があると言ふ      大木あまり
   ひやわいと呼ぶこの路地乱歩の黒マント  大西健司
   蕎麦食べて年の終りを啜り込む      川名将義
   千人の歌声一陽来復           劒物劒二
   朝の陽や犬が転がる無垢の雪      加賀谷三棹
   梅東風や横須賀港の果て辺野古      織本瑞子
   氷る旗振りたる父を恋いにけり      秋野美広
   鳴き竜の天衣無縫の柳の芽        椿山静女
   背中からひとは乾いて大花野      なつはづき
   銀河にも誕生と死よ火酒あおる      伊藤 眠




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