2020年5月21日木曜日
小林秀雄「おっかさんは、今蛍になっている」(『俳句論史のエッセンス』より)・・
坂口昌弘『俳句論史のエッセンス』(本阿弥書店)、「本書は、月刊俳句総合誌『俳壇』に、平成二十九年一月から三十回連載したものに加筆・訂正したものである」(「あとがき」)。その「あとがき」には,他にも「優れた俳句作品を残した俳人は多いが、ここでは、純粋で普遍性のある俳句論を残した俳人に限った。俳人の人間関係にまつわる俳壇史や、作品の中味を論じた作品史も重要であるが、本質的な俳句論のエッセンスをまとめるだけとした」とあるように、長年に渡って俳句に関わってきた者ならば、どこかで目にしたり、聴いたりした論述が散見されるだろう。それらの要約をエッセンスとして纏め、著者の評価を加えている。が難解な部分もなしとはしない。少し長い「あとがき」が、そのあたりの著者の苦心をよく表わしている。例えば、
俳人の使命はいかに良い作品を詠むかであろう。俳句論と作品は両輪であるが、必ずしも一致しない。(中略)
秀句・佳句だけを選び、選んだ秀句・佳句がなぜ良いのかを批評する作品論が大切である。(中略)評論においてももっとも大切なことは選句である。評論以前に秀句・佳句だけを選び、その優れている理由を散文化できるかが批評のすべてである。本質的な俳句論が出尽くした現在、今後は俳句に詠まれる中味・テーマを論じる以外にはない。(中略)
これからは、過去の有名な俳句論の引用・紹介ではなく、作品の例をあげない一般論や概念論ではなく、一句一句の俳句作品が秀句かどうかを具体的に述べる批評が必要である。作品を通じて普遍的な俳句論が提示できれば良い。さらにいえば、評論を批評できる批評家が必要である。
と、述べる。目次をみると「正岡子規の写生論」から「山口誓子の俳句論」あるいはまた、「新興俳句について」「山本健吉の俳句論」「戦争協力責任論争」「『第二芸術』論」「『軽み』論争」「髙柳重信の多行形式」「俳句とアニミズム」など、約50項目近くにも及び、俳句論の主要な部分は、ほぼ網羅していると思われるが、本書中、愚生のイチオシは「俳句はなぜ有季定型なのか」である。
(前略)『万葉集』以前には五七五七七の定型以外の歌が多くあったのだから、飛鳥時代の誰かが短歌を五七五七七の定型に決めて統一したのである。(中略)
短歌は自然と五七五七七になったのではなく、無理やり短歌を五七五七七にしようと統一的な精神の持ち主が決めたことにより、短歌形式が決まったとしか考えられない。短歌形式と天皇制が千三百年間続いていることは世界史のなかでも不思議なことだが、両者は深く関係する。(中略)
日本語が五音七音に適しているという発想そのものが誤解であり、間違いである。自然な発生であれば、言語には奇数音も偶数音も存在する。(中略)
定型が定められた後に、歌人が五音七音に合わせてきた。指折り数えて五音七音に合わせてきた千三百年の歴史によって、逆に五音七音が日本人の歌謡に適するように変化したのである。(中略)自由に歌いたいように歌えば、偶数音や偶数句の歌が多く残るのである。古代日本語にはない律が採用されたのだ。(中略)
五七五七七は、上代に自然に出来た形式ではなかったことは明瞭である。飛鳥時代に誰かがトップダウンで定型化した。
これ以上の引用は、本ブログでの範囲を超えてしまうので、読者諸賢は、是非、本書に直接、当たられたい。
ブログタイトルにした小林秀雄の一行「おっかさんは、今は蛍になっている」の横には、
たましひのたとへば秋の螢かな 蛇笏
おおかみに蛍が一つ付いていた 兜太
の句が記され、「一節目は俳句ではなく、小林のベルグソン論『感想』の一節であるが、この言葉を読んだ人は、小林は気が狂ったと批判したそうである。しかし、小林の評論を一言で表している。(中略)飯田蛇笏の秀句に通う。人と蛍には共通の魂があり、蛍の光が亡き人の魂を象徴する。(中略)金子兜太の蛍も、魂の蛍の伝統の中にある。ここには社会性も造型俳句もない。
森羅万象の魂を無為自然に理解する情緒・心が評論に必要であることを小林は教えた」。(「小林秀雄の俳句観」)
と評されている。
撮影・染々亭呆人「相国寺・藤原定家の墓」↑
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