2020年7月13日月曜日
照屋眞理子「師系塚本邦雄柘榴を火種(ほだね)とし」(『猫も天使も』)・・
照屋眞理子遺句集にして第三句集『猫も天使も』(角川書店)、序文は東郷雄二、跋文は尾崎まゆみ「時の流れ(レール・デュ・タン)」、「あとがき」は、照屋成治「感謝 あとがきにかえて」。著者には、すでに歌集三冊、句集二冊があり、序も跋も歌人の方々である。東郷雄二の序の中に、
(前略)照屋さんの作る短歌と俳句に共通して見られる特徴の第一は、「非在を視ようとする眼」であろう。これは一見すると矛盾している。「非在」とはこの世にあらぬものであり、ないものは目には見えないからである。(中略)
現世のみが世界ではなく、この世に存在するものだけが存在ではない。この世と別の世を自在に行き来できるわけではないが、この世に在るものの傍らに別の世が色濃く感じられる。そのような感覚が照屋さんの俳句や短歌に独自の味わいと奥行きを与えている。(中略)
照屋さんは重いこの世の肉体を脱ぎ捨て、夢の中で幾度も訪れた別の世で軽やかに遊んでいるにちがいない。そんな自分の姿を照屋さんは句や歌に繰り返し詠んでいる。残された句集・歌集の中に心を遊ばせれば、そこに形を持たなくなった照屋さんがいつもいるのである。私たちは書を開くだけでよい。
こんなに軽くなつて彼岸の野に遊ぶ 『月の書架』
もうかたち持たずともよきさきはひを告げきて秋の光の中 『恋』
また、照屋成治は、
(前略)妻・照屋眞理子は令和元年七月十五日、六十八歳で死去しました。
自宅で、私の手の中で息を引き取ったのですが、堂々として生き生きとした顔で死んでいきました。私の死には、誰も口出しはさせないと自信を持って死んでいるようでした。六十八歳は若い、いや、精一杯、十分生きました、ではあなたは、と問われているようでもありました。
眞理子が好きだった人々にも、眞理子が嫌った人々にも、眞理子を嫌った人々にも、感謝の念を捧げたいと思います。全ての人が、照屋眞理子をつくって下さったのですから。(後略)
と記されていた。他に、短いエッセイ「十五分」が収められている。その末尾の句は、
わたくしを捨てに銀河のほとりまで 眞理子
の句である。ともあれ、集中より、以下にいくつかの句を挙げておこう。
引鶴やこゑてふ形見あるばかり
八田木枯忌夜空の涯に濤
百年後この子百歳さくら貝
小鳥のやうな母の飲食(おんじき)はうれん草
魑魅魍魎(あやかし)の昼は眠たしあぢさゐ
泉あり寂しきときに鈴を生む
師の坐(ま)さば父母坐さばちちろ鳴く
いつみても乗らぬ列車や天の川
にんげんは戦争が好き雪の弾
かの百夜通ひも見きか寒昴
手袋に一対といふ不如意かな
湯たんぽや斯く母も母恋ひしか
照屋眞理子(てるや・まりこ) 昭和26年、東京都生まれ。令和元年逝去。享年68。
撮影・鈴木純一「沢胡桃見えないものと待ち合わせ」↑
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