2020年8月19日水曜日

攝津幸彦「南浦和のダリヤを仮りのあはれとす」(「円錐」第86号より)・・




「円錐」第86号(円錐の会)、特集は「第4回円錐新鋭作品賞受賞者最新作」、さすがに様々な傾向の句が書かれているが、全部を紹介する余白もないので、ここでは、それぞれに推薦された三方のみ、それぞれの一句を挙げておきたい。

  ロボットも命乞いせよ花曇り    来栖啓斗
  東京タワーみたいなタワー明易し  千野千佳
  
  ナホトカは
    (草鹿外吉訳)
  夏の雨           たかなしあきら

 味元昭次のエッセイ「方舟夜話」に、日野草城「高熱の鶴青空に漂へり」の句を挙げて、

 一つは鶴という日本を代表する渡り鳥が単独で歳時記に記載されたのは、実に不思議なことに昭和の後期になってからだったからだ。「凍鶴」や「鶴帰る」等はあったのだのだが・・・。(中略)
  吹きおこる秋風鶴をあゆましむ    石田波郷
  樹のそばの現世や鶴の胸うごき    飯島晴子
 前者は昭和十二年に主宰誌「鶴」発刊に際し詠まれた作品である。その意味を含んで流石に巧い句だが、「伝統俳句の最後の鐘は俺が撞く」と豪語した波郷が、記念的作品に露骨な季重なりを入れるはずもなく、無季の言葉の鶴を安心して秋風と一緒にしたのだろう。飯島晴子の作品の年代を調べてないが、昭和三十五年に俳句を始めた晴子の比較的初期のものだと思われる。実は彼女の自解句集の文の終わりには「無季」と記してあったのを拝見したことがある。(中略)当然、草城の一句も「無季俳句」だった。
 平成三年刊の「日本名句集成」の観賞文の終わりに桂信子は「無季」と記してあるが、たぶんこの時点で歳時記に記載されていたとすれば、あれは新興俳句を出自とする彼女の意地と主張の表記だろう。   

 と述べている。たしか味元昭次には、大昔に、すでに彼の選による「無季俳句選100句」?のアンソロジーがあったような記憶があるが、さて・・・。このほか、今泉康弘「薔薇の詩学―西洋・女性の美・香り」のエッセイの最後に攝津幸彦の句を挙げてくれている。前段で「裏切りだ/何故だ/薔薇が焦げてゐる 高柳重信」の句を掲げて、

  もっと考えてみると、ここには重信の敗戦体験が反映している。近代日本は西洋文明を真似て、帝国主義をも追随し、あげく野心の果てに破滅した。焦土を経験した後には子規のように薔薇に対して西洋風の美を晴朗に詠うことはで出来ない。薔薇は焦土に燃えた。焦げて灰となった。ここに薔薇の近代は終わり、薔薇の現代が始まる。そんな重信を悼む一句を最後に(『陸々集』一九九八)。

  薔薇一輪一輪ゆゑに重信忌       攝津幸彦
 
ともあれ、本誌同人特別作品から一人一句を挙げておこう。

   ほうたるのどれも戦争には往かず    味元昭次
   風青しかのビールスはヒトに乗り   山﨑浩一郎
   薫風やお手製マスクを七尾子さん   荒井みづえ
   七夕やテレワークとは上半身      山田耕司
   汗臭き輩と社会距離拡大戦略(ソーシャルディスタンス) 澤 好摩 



            芽夢野うのき「空蝉をつつき記憶の向こう側」↑

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