2020年8月31日月曜日
永井荷風「戦ひに国おとろへて牡丹かな」(『美しい日本語 荷風Ⅲ』より)・・
持田叙子・髙柳克弘編著『美しい日本語 荷風Ⅲ』(慶應義塾大学出版会)、帯の惹句に、
一切のそんたくをしない / 永井荷風の生誕一四〇年、没後六〇年を記念して、荷風の鮮やかな詩・散文・俳句に読む、真に自由なことばのアンソロジー。
とある。まず第一部「荷風 散文・詩より」持田叙子の目次を紹介すると、大項目に「人の命あるかぎり/自由と平和の歌」と「『断腸亭日乗』と戦争」である。が、ここでは、第二部の「荷風 俳句より 髙柳克弘」に登場していただこう。まず、冒頭に、
表層的な欧化政策を進める明治政府を、「猿真似」「醜悪」と容赦なく切り捨てる荷風の、権力の虚妄を暴く批評精神は鋭い。それ自体が芸に達しているといってもいい。
だが、荷風俳句において世相批判をなそうとはしなかった。荷風にとっては、俳句は権力と戦う武器ではなかったのだ。
と述べる。そして結びには、
専門俳人は流派を確立するため、みずからの俳句観を煮詰めたスローガンを案出しなくてはならない。高浜虚子の「花鳥諷詠」や河東碧梧桐の「無中心」は、その典型である。そのスローガンが、流派の中に排他的空気を生み出し、本来「俳諧自由」(『去来抄』にみられる芭蕉の言)であるはずにもかかわらず、その自由さを制限することも俳句史上、珍しいことではない。
専門俳人ではない荷風はその点、俳句はこういうものである、という一面的な言説を持つ必要もなく、詩を感じられればそれでよい、という鷹揚な態度である。人生の問題を深刻に扱っても良いし、扱わなくても良い。内容は何もなくて言葉が心地よいというだけでも良いし、口にしたときの調べが美しいというだけでも良い。なんとも気楽で、自由な態度である。「自分は書家でも俳諧師でもない」(「にくまれぐち」)と自認して、ことさら俳句とは何であるかを定めない荷風の俳句は、真の意味で自由であった。
と記している。むべなるかな。ともあれ書中よりいくつか、荷風の句を孫引きしておこう。
子を持たぬ身のつれづれや松の内 荷風
長らへてわれもこの世を冬の蠅
筆たてをよきかくれがや冬の蠅
羊羹の高きを買はむ年の暮
深川や低き家並のさつき空
両国や船にも立てる鯉のぼり
涼風を腹一ぱいの仁王かな
稲妻に臍もかくさぬ女かな
かたいものこれから書きます年の暮
永井荷風(ながい・かふう) 東京生まれ。1879、12.3~1959.4.30
持田叙子(もちだ・のぶこ)1959年、東京生まれ。
髙柳克弘(たかやなぎ・かつひろ) 1980年、静岡県生まれ。
撮影・芽夢野うのき「晩夏百合月待ちいろになりたがる」↑
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