「沖ゆくらくだ」10月号・No.13(学術出版印刷)、サブタイトルに「俳句と文章でつづる総合文芸誌」とある。従って、俳句あり、エッセイあり、小説あり、コラムなど、けっこう楽しませてくれる。近藤健の「編集後記」には、只の一行「年内にもう一回発行いたします」。シンプルで愉快、遊び心がある。表2には、色紙ふうに「廣至苑」とあって、「俳句を/作った時から/あなたは/作家である/廣太郎」とある。ただ、巻頭エッセイの「ファンファーレ」は、本号執筆者の大久保白村の悲憤慷慨で埋められている。もちろん、日本伝統俳句協会を愛するがゆえの苦言である。全文引用したいところだが、大切な証言として、少し引用しておきたい。
(前略)協会(愚生注:日本伝統俳句協会)が公益法人に認可されたのは橙青の政治力で実現した。当時の文部省文化庁は橙青の中曽根内閣閣僚へのいろいろな根回しに渋々従ったのである。一番の問題は実績の何もない出来立ての協会に一業種一公益法人という文部省の大方針の例外として認可することへの役所の抵抗である。案の定、激しい反対の投書が文部省に寄せられたが、この処理にも橙青が動いた。表向きの出来事はやはり「橙青日記」に記録されている。ただし添付資料まで公表していない。公表された日記を読んだだけでも、橙青の根回しがなければ絶対に認可されなかったことがわかると思う。発足翌年から協会の会員数が減少していることは根回しをした橙青としても気になる点で、「一万人を目指し」などの記録が日記にも出てくる。根回しが大成功しただけに会員数が気になったのであろう。その頃から会員減少にもっと強く関心を持ち組織運営、機関誌の改革に内外の意見に耳を傾けるべきであった。「花鳥諷詠」だけ連呼しても会員減少は止められない。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」と兵法ににいうが、敵を研究せず己を過信して軍師を遠ざけて会員数に危機的状況をもたらしてしまったのである。
この他の部分も、愚生が知っている大久保白村の温顔とは遠い厳しいものである。ともあれ、本誌本号の「HAIKUFIELD」の作品より、一人一句挙げておこう。
磯菜摘島に生れて島を出ず 浜崎素粒子
子の腕の白き未開地夏来る 永沢達明
母在はす大山けふの野菊晴 柄川武子
凶と出ることも一入初みくじ 前田容宏
穂芒を焦がして夕日落ちにけり 土居美佐子
鈴木純一「そこそこに実ってビンボウカヅラかな」↑
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