2020年12月29日火曜日

志賀康「草の花散れば頓悟のときあらん」(「LOTUS」第47号)・・・

 

 「LOUUS」第47号(発行人・酒巻英一郎)、特集1は「多行形式の論理と実践(作品篇)」で、20名の多行表記の作品が掲載されている。巻頭随筆に酒巻英一郎が「主題と方法ーLOTUS47號『多行俳句形式』特集に向けて」で、その在り様がよく伺える。それについて(原文は正旧漢字)、


 (前略)ここには厳密に表現すれば、作品ごとの主題と方法が存する。これらを眺望するに、手短に要約すれば、主題と方法(論)の先行が。主題と方法とはいかにも古典的命題ではあるが、けだし渋滞が旧弊なのでも、先行が予見を赦されたものでもない。方位は定まってゐる。主題の句的止揚と、俳句形式の方法的制覇、その有機的合一。そしてそれら全領域に係わつてくる詩的言語の認識。令和初頭期の言語状況下にあつて、それは直ちに私たちが措かれてある社会的状況にイコールとなり、短詩形言語は、それらをもつとも端的に、かつ期せずして象徴的に表はしてゐる。いや正確には表はさざるを得ないのである。多行形式俳句は、改行といふ嘗ての俳句形式が想像だにしなかつた方法の革命的開示により、一気に言語状況の最前線に押し出された。即ち言語状況の一切を引き受けざるを得なくなつたと言つてよい。ゆゑに見事に、あるひは無惨なまでに俳句形式・言語方法の双方を露呈、露顕してみせる。


 と、正しく記されている。これらの困難に破砕されるかもしれない覚悟を開陳してもいるのだ。一行棒書きによる必然と多行表記における必然、それは即、一句の書き出し方の違いに直結している。それらはむしろ、多行表記の一回性の方によりストレスがかかっていよう。だからこそ、高柳重信以前に試みられた多行表記の作品群とは異なる成果として、明らかに「高柳重信以後の多行形式の一つの結実として、共有できやう」と言い及んでもいることで知れる。俳句形式においてすら、これまでに、カリグラムにしても、歴史的にはほとんど試行されつくされて来た感があり、いずれ、見事な一行棒書きの句も、見事なる多行表記の句も、ともに困難なことに違いはない。ともあれ、愚生のパソコン技術では、表記をすべて再現することは困難なので、本号より、いくつかの句を、以下に挙げておこう。


  戦場孤影

  乳母車              上田 玄

 

  破蓮を

  呼び戻しては

  また枯るる            丑丸敬史  

 

  一里塚

  一理を辿る

  春の暮            木村リュウジ


  空間

  --が

  怯えてみせる

  寒鴉              来栖啓斗


  秋風の

  破る芭蕉の

  言つ葉や          酒巻英一郎


  閃閃と

  飛びゆくミサイル

  子午線上の

  日のアリア          高原耕治


  垂乳根蒲団(ちちくさき)

  零余子産土(むせいにくがの)

  間引継子種(かんざまし)   田沼泰彦


     昨夜肺が桐になるまでの水せめ

  相馬 

  嘶き

  夜毎汲まるる

  肺の水            外山一機


  蜥蜴の尾

  いつしか振り子の

  

  琉球弧            豊里友行


  名(な)にし負(お)


  何年前(なんねんまへ)

  (なみ)しぶき       中里夏彦


  雪蟲(ゆきむし)

  黄昏(たそがれ)

  (てん)

  烏帽子(えぼし)かな     林 桂 


  直角に廊

  下を曲げ

  る蝉しぐ

  れ放課後          笛地静恵


  蓮ひらく


  涙眼の

  この惑星に         深代 響


  流れ行く

  ヒルメロメロン

  蛭の足           三上 泉


  血はゆるむ

  鷺の羽音に

    抽斗に         未  補


  空の沈黙

  祈りをとめて

  幻日

  傾ぐ            無時空映


  月と日に

  双葉が伸びる


  あなかしこ        山口可久實

  

  相聞(あひぎこえ)

  母(はは)

  消(け)しゆく

  (はは)の笛(ふえ)  横山康夫



★閑話休題・・・志賀康「子守柿(こもりがき)万古へ有機明かりなれ」(『名句に所以』より)・・・

 志賀康つながりで、小澤實『名句の所以/近現代名句をじっくり読む』(毎日新聞出版)、その中に、


 子守柿とは、柿の実をもぐ際、来年の柿の豊作を願って、木の上にただ一つ残しておくもの。それが永久に変わらず有機的な明かりを灯していてほしい、と願っている。(中略)電気の灯火ばかりが点っている現在ではあるが、木守柿の明かりというささやかな存在を忘れはならない。木守柿の下にこそ、人々の幸せがあるはずである、というわけだ。表現はきわめて難解だが、自然の力の復活を強く願う思いに共感する。『返照詩韻』(平成二十年刊)所載。(中略)

   明日は野に遊ぶ母から鼠落つ  


 とあった。他のページに、酒巻英一郎の師・大岡頌司、そして安井浩司、攝津幸彦と母の攝津よしこの句もあった。

  

  寸烏賊(すんいか)は/寸の墨置く/西から来て  大岡頌司

  ともしびや/おびが驚く/おびのはば

  ひるすぎの小屋を壊せばみなすすき        安井浩司 

  麦秋の厠ひらけばみなおみな

  糸電話古人の秋につながりぬ           攝津幸彦

  露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな

  担ぎ来し花輪の脚を春泥に           攝津よしこ

  炎昼の径いつぱいに牛がくる



    撮影・芽夢野うのき「冬花火はなやかなればしねないよ」↑

0 件のコメント:

コメントを投稿