「現代俳句」2021年1月号(現代俳句協会)、新年の本誌グラビアのトップ「わたしの一句」は宮坂静生、見開きページには「百景共吟」の柿本多映と筑紫磐井。
呱々(ここ)の声あげ白鳥の初飛来 宮坂静生
コロナとは鸚鵡の独り言殖えて 柿本多映
きよし・たけし・たかしが並ぶ御慶とや 筑紫磐井
そして、何といっても巻頭エッセイの「直線曲線」、高岡修「明日の俳句」の志をこそ讃えたい。それには、木村重信『現代絵画の解剖』が引用されたのちに、
(前略)いったい、今日の非俳句が明日の俳句となりえたことがあっただろうか。〈俳句が単なる繰りかえしではなく、新たな価値の創造である以上、非俳句のなかにこそ新しい俳句の栄養が存する〉という認識が、一度でも俳句歴史の王道として認知されたことがあっただろうか?
答えは否である。(中略)
文学の発生史においては俳句という形式がもっとも新しい。それがたとえ連句からの転用であろうと、極少の言語で詩化が果たされるという短さへの進化のありようは、奇跡とさえ言っていい。
優れた文学作品は一編で世界と対峙する。小説しかり、詩しかり、短歌しかりである。(中略)たった十七音量の言語で世界と対峙しうるのだ。それはまた、一点を表白することによって針のように世界を刺しつらぬく、俳句固有の詩化の姿でもある。
そんな俳句のありようを、吉岡禅寺洞は「俳句は強靭なる詩である」とした。芸術において詩はもっとも強靭な存在だが、その強靭なる詩をさらに強靭にしたのが俳句であるとしたのである。有季定型や自由律や前衛俳句を標榜する前に、俳人はまず、そのような強靭なる詩の一点に立たなければならない。
それでもなお、世界は厳然とある。厳しく変容しつづけ、人間を変質させ、混迷を深めている。もはや有季定型や写生という概念だけでは成立しえない、現代文学としての宿命がここにもある。
と述べている。他の論考には、中村和弘「更にアクティブに」、黒田杏子「現代俳句について思うこと」、瀬口真司「テン年代が俳句に与えたものー現代俳句協会青年部一六六回勉強会レポート」など、読みどころが多い。ともあれ、本誌本号の特別作品から、一人一句を挙げておこう。
瓦礫より赤き帯垂れ寒土なり 中村和弘
コロナ陽性者数また増えており檸檬の香 寺井谷子
海より朝日赤ん坊にも穭にも 高野ムツオ
枯野明るしあすのもの埋め尽くし 伊藤政美
弱起の高揚地球の底に戦火ある 秋尾 敏
蓮の骨一本ずつの感情に 対馬康子
釣堀に連れの女や三鬼の忌 小林貴子
狼を恋ふ火を使ひ水を汲み 柏田浪雅
撮影・鈴木純一「魂は五分にて足れり霜柱」↑
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