2021年1月23日土曜日

高山れおな「犇犇となほ犇犇と密事始(ひめはじめ)(「俳壇」1月号)・・・


 「俳壇」一月号(本阿弥書店)、筑紫磐井「俳壇時評」は「俳句一三〇年史」に、桑原武夫が「第二芸術」を「世界」12月号に発表してから七十五年目にあたり、この間の戦後俳句の動向について触れた後に、同じ韻文であっても、詩・短歌・俳句の動向について、


 面白いのは、類似した定型詩であるが、短歌は俳句と微妙に違う流れを持ち、現代詩はほとんどこうした流れを超越しているように見えることだ。ただ、鼎談では触れていないが、近年はいずれも大衆化に突入したようで、私は、平成時代の俳句は、上達法に明け暮れていると思っている。


 という。そして、同号掲載の鼎談「戦後75年 詩歌の歩み」(筑紫磐井・川野里子・野村喜和夫)で戦後の戦争責任をめぐる問題、あるいは、前衛の概念などをめぐり、それぞれの違いを披歴した後、終盤に、


野村 (前略)わからないのは現代の句です。田中裕明の〈水遊びする子に先生から手紙〉、どこが俳句なんだろう。どこが詩なんだろう。なかはられいこの〈ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ〉はレトリック的な冒険があるかもそれないが。短歌もそんな感じがします。いわば一つの重力として、文語的なもの、あるいはメタファー的なもの、あるいは、ちょっと重いかなというような言葉を入れないと、表現は拡散していくばかりですね。現代詩もそうです。(中略)

川野 今の短歌にもそれはあって、そういう意味では今、この瞬間しかない。このモノしかない、という断裂して、断片化していく世界というものに、まさに刻々と立ち合っている。その感覚を私も共有しています。

 だけど短歌では、時間の中から汲み上げてくるしらべ、韻律、言葉というものを「自分の言葉や体を通して時間を汲み上げる」ことができる。これが実は戦後からの宿題に対する答えになりうるのではないか。(中略)

筑紫 虚子の俳句はどうってことのない俳句だけれど、意味を読む向う側に「俳句って何なのか」という問いがある。こちらの側に「俳句とは何か」という問い掛けがあれば、いろいろな俳句の読み方がうまれるのじゃないかと思います。(中略)

野村 川野さんが最後におっしゃた「時間を汲み上げる」とはすてきな言葉だ。僕が言った「限りなく拡散していく現在に対して、それをつなぎとめる言葉の重力」というのとちょっと似ているかなあ。基本的には「まず、自分の中にある時間ということでしょうけれど、いい言葉だなあ、やってみようとおもっています。

 と語られている。ブログタイトルにした高山れおな「犇犇となほ犇犇と密事始(ひめはじめ」は、「『牛』のある字を詠む」の企画のなかの句である。他に、面識のある方々の一句を挙げておこう。


  歯固犇(ひし)と仏稜風牛肩炙肉(ビステッカ・アッラ・フィオレンテーィナ)

  はも                高山れおな

   いかのぼり牧の起伏の百町歩     太田土男

   年酒酌む物やはらく生きめやも    鈴木節子

   句心は火牛の如く去年今年     小暮陶句郎

   謎解きの件に入る炬燵かな     宮本佳代乃




★閑話休題・・・志賀康「人あまり笑わず小さき野を焼けり」(「俳句界」2月号)・・・

 特別作品は、茨木和生、岩淵喜代子、志賀康。特集は「みちのく俳人競泳」と「てにをは再入門」。ここでは、愚生とはすれ違ったが、愚生も創刊同人だった今は無き「未定」同人の志賀康、総合誌での特別作品では、なかなか読めない俳人だから、是非紹介したかった。ともあれ、本号の特集より、目についた俳人の一人一句を挙げておきたい。


   死の端が見えてをるなり青簾       武藤紀子

   山越えの雲の降らせる春の雪       茨木和生

   下萌えや昨日も今日も川の音      岩淵喜代子

   蟲死んで冬の野になお蟲の闇       志賀 康

   姥捨の山仰ぎゐる雪女          照井 翠

   町ひとつ津波に失せて白日傘       柏原眠雨

   通う血がありて凍れる銀杏の木     高野ムツオ

   日も月も全裸や蛇の冬ふえて      鳥居真里子

   春はすぐそこだけどパスワードが違う   福田若之



            芽夢野うのき「流連の男蹴飛ばす白椿」↑

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