「GA」86号(編集発行人 秦夕美)、新年の挨拶に、
明けましておめでとうございます。
まだ、この世で動いています。昨年第十七句集『さよならさんかく』を出したのちも、俳句は書き続け、今は部首に凝っている。例えばニンベンで十句、シンニュウで十句と遊び出すと止まらない。そんなわけで「舞珠(部首)」五十句を書いたが、中秋の名月前後の月があまりに見事だったから、「月の譜」十句を書き、「蕪村へ」は一句のみにした。個人誌なので編集の変更は勝手にできるが、頁数をふやすと、製作費と送料が高くなる。全てが個人負担、なるべく経費は抑えたい。最初に定型郵便にしたいと考えた誌形なのだ。(中略)
表紙の葉は鶏頭。矮性だが、花の色はきれい。今年も生きるのかな?
とあった。あるいは、見開きのエッセイ「もう?まだ?」には、
六十二年も書き続けて、まだ書きたいことがある。仕事というより、道楽にちかいので、気が向いた時だけ集中して書くのだが、それは噴き出すように言葉が湧いてくる。何も考えてはいない。きっと何者かが書かせてくれるのだろう。ある言葉がひらめくまで、時間はかかる。その間、料理や手仕事、孫との付き合いなど日常もろもろをこなす。これら全てがふっと途絶える。それが死なのか。
ともあった。ともあれ、集中より、いくつかの句と歌を挙げておきたい。
夢の字は艸(くさかんむり)や夏嵐 夕美
般若にはならず柩に大西日
きわだつや遊悲の丘の夕芒
まあそれは別の夜のこと細雪
新月や野はいさゝかの風を食み
ぬけるやうにはゆかぬ青空八月を散らばる破片無数の破片
冬の虹かすめゆけるは何ならむ静かなる水さわがしき水
★閑話休題・・向瀬美音「晩年の身の未知数や桐一葉」(『Haiku Colum』Vol.6)・・
「『Haiku Colum』Vol.6 /世界の俳人90人が集うアンソロジー」(ふらんす堂)、「Haiku Colum」 主宰・向瀬美音の「あとがき」の中に、
Haiku Columのメンバーはどんどん増え、現在2200人である。はじめは国籍は分からず、言語のみでメンバーを理解してきた。
しかし、歳時記を作るにあたって、メンバーの国と名前を全て日本語で示すことになった。これは大変な作業であったが、本当に地球儀を一周するような経験をした。知らない国もあり地図で確かめた。しかし、今は全員の国籍がわかって楽になってきた。
歳時記と今回の機関誌から、日本語訳を17音で統一することにした。
2行を直訳してから、日本語訳を17音にする作業なので、意訳は出来るだけ避けられたと思う。
この十七音訳によって、日本の俳人が海外の俳人の句に関心を持ってくれたらと願う。(中略)
そして、永田氏の7つのルールを徹底させて、句は、省略の効いた、名詞を中心とした短いものになってきている。シラブルのことは最初、考えていなかったが、結果として10シラブルから15シラブルの間に収まってきている。
そうすると日本の17音の俳句に訳するのもそれほど難しくない。
中にはそのまま17音におさまる句も出てきた。
という。ここでは、すべて紹介しきれないので、日本語の句のみいくつか紹介しておこう。そして、同送されたもう一冊の櫟原聰著『TANKA YAMATO』(原句はローマ字読みと英語、フランス語訳付)から、一首。
余震なほ闇深むまで虫鳴けり 永田満徳
半世紀旅したような夢はじめ 向瀬美音
ハロウィンの句会に魔女の二三人 中野千秋
盂蘭盆会お経の中の物語 Aniko PAPP(ハンガリー)
日本語の読めないメニュー秋惜しむ Tanpopo Anis(インドネシア)
風強き冬至や毛糸取り出して Angiola lnglese(イタリア)
積み上げた本の中より春の色 Marie Soucramanien(フランス)
りんごひとつ手にもつ時に空深く果実に降るは果実の時間 櫟原 聰
芽夢野うのき「風を聴く耳つわぶきにもあるか」↑
0 件のコメント:
コメントを投稿