川名大『渡邊白泉の100句を読む』(飯塚書店)、帯の惹句に、
多彩な表現様式への挑戦/戦争が廊下の奥に立ってゐた/白泉の人生の全貌と、傑作の斬新な読み解き
とある。まさに川名大の近年の労作である。「あとがき」の中には、
ところで、本書は「俳句と生涯」という執筆の縛りがかけられているので、従来の方法とは逆に、白泉の生涯を可能な限り具体的に詳細に調査し、それを効果的な補助線として俳句を読み解くという方法を採った。そのために多くの参考文献の博捜をはじめとして、Web検索や、白泉の生涯にかかわる事柄に多くの情報をもつ方々にご教示を仰いだ。
と記されている。本書に直接あたっていただければ、その詳細にも触れていただけるが、本ブログではそうもいかない。一例のみを紹介しておこう。
玉音を理解せし者前に出よ 『白泉句集』昭和二十年
初出は稿本句集『白泉句集』(昭44)で、「函館黒潮部隊分遣隊」と詞書のある三句中の第二句。(中略)
この「玉音を」の句に初めて具体的に言及したのは神田秀夫である。
列から一歩「前に出る」のは、ほめられる時も叱られる時もあるが、ここは「前に出よ」といっては教育してきた下士官に対する作者の精いっぱいの皮肉であろう。(「白泉の噴出」既出)
この昭和六十年に書かれた簡明な評によって、「前に出よ」への私の長年の不明はようやく氷解した。軍隊生活では何ごとによらず、士官や下士官たちは兵に対して、一歩前へ出て行動・発言するよう教育し、兵たちはその規律に従った。軍隊生活を送った俳人たちはそういう規律を体験してきたので、この句にただちに反応できただろうが、戦後教育を受けてきた私には難解だったのである。(中略)
日ごろ、「前へ出よ」と命令してきた上官の言葉を鸚鵡返しに使った上官への意趣返しである。「前に出よ」によって玉音を理解できない上官の狼狽ぶりへの痛烈なイロニイを打ち出した。
この句の後の
玉音終るや長官の姿なし
も、日ごろ、兵に対して皇国思想を吹き込んできた長官の豹変ぶりへの揶揄であろう。
白泉の句は、戦争に関する戦前の句が、広く喧伝されているが、戦後、俳壇に登場することなく、ひそかに、作られた句に、なかなか味わい深い句も多い。ともあれ、以下にいくつかの白泉の句のみになるが、挙げておきたい。
三宅坂黄套わが背より降車 昭和十一年
銃後といふ不思議な町を丘で見た 昭和十三年
赤く青く黄いろく黒く戦死せり 〃
繃帯を巻かれ巨大な兵となる 〃
戦争が廊下の奥に立ってゐた 昭和十四年
(促音は自筆稿ではすべて小さく表記されている)
憲兵の前で滑って転んぢゃった 昭和十四年
夏の海水兵ひとり紛失す 昭和十九年
終点の線路がふっと無いところ 昭和二十二年
砂町の波郷死なすな冬紅葉 〃
まんじゅしゃげ昔おいらん泣きました 昭和二十五年
日向ぼこするや地球の一隅に 〃
石段にとはにしやがみて花火せよ 昭和三十年
手錠せし夏あり人の腕時計 昭和三十一年
桃色の足を合はせて鼠死す 昭和三十二年
教へ子は皆美しく成人す
秋まぶし赤い帽子をまづお脱ぎ 昭和四十年
谷底の空なき水の秋の暮 昭和四十三年
川名大(かわな・はじめ)1939年、千葉県生まれ。
撮影・芽夢野うのき「囚われの身にからみつくのうぜんの花」↑
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