魚住陽子『水の出会う場所』(駒草出版)。挿画・加藤周。つい先日、「魚住陽子さん(うおずみ・ようこ)=作家、本名加藤陽子(かとう・ようこ)8月22日、腎不全で死去、69歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は夫一夫(かずお)さん。埼玉県出身。89年に『奇術師の家』で第1回朝日新人文学賞を受けた」という訃報記事(9月1日)に接した。どこかで聞いた名だ、と思った。一時期、愚生が作品評を書かせていただいていた俳誌「らん」70号の皆川燈のエッセイを思い出したのだ。それには、
俳句がところどこに配された美しい小説に出会った。(中略)
舞台はリタイヤした六十代の夫婦が住む避暑地で有名なK町。夫婦のもとへ年数回。俳句仲間が吟行に訪れるようになって数年がたつ。夫は吟行で訪れるメンバーの一人、泉という女性にひかれている。
かれは泉のことを思い出すとき、句会で出された彼女の句を思い出す。
鳩尾も鎖骨も深し秋の水
塩壺に匙残したり雪籠り
俳句は、ストーリーのところどころに、まさに滾々とあふれる泉のように湧き出て、深々とした余韻を残す。登場人物たちの思いを凝縮させているだけでなく、楽譜に例えればアクセントや休符や転調の記号のように小説の流れに静かな起伏を形づくっていく。俳句と散文が見事に響きあう世界に魅了された。
魚住陽子が登場した九〇年代、私は『奇術師の家』や『公園』を読んでたちまち引きつけられた。(中略)
俳句が大好きな魚住陽子の小説世界と不可分の詩の泉であることが何だか無性にうれしかった。
とあった。従ってブログタイトルにした人名も句も、すべて小説のなかでのものだ。その水の出会う場所での会話がある。
(前略)一瞬、私たちは指一本髪一本触れずに、同じ水に触れ、抱き取られ、縒(よ)りあわされながら、一緒に飲み込まれた。
「この湿原にはたくさんの泉が隠されていて、その地下水が集まって流れている。歩きながらずっと、ここは水が出会う場所だと思っていました」
そうか、ここは水が出会う場所なのか。二本の濡れた木のように、草原の岸に立ちながら僕をここに導いてくれた彼女に、言葉では言い表せない神秘的な力を感じていた。
ともあれ、作中には、多くの句があるが、その中からいくつかの句を挙げておこう。合掌。
御神渡り罠はまっている夕陽 泉
草莽や虹の門立つ家を出て
雪原の無音も尽きし信濃川
将来は鳥博士になる毛糸帽
まて貝や身体というぬるい水
水芹の水に汚れていたりけり
水餅の膨れに似たる一日かな 浩二
どの花の蜜とも知らず朴の匙
戻り梅雨水につまづくあめんぼう
草の実のはぜて無頼の土となり
百夜かけ木の実を落とす山であり
大葦切騒ぎやめたる野の訃報
白きもの短冊に切る夏料理 恵
萩の月寝台二つ繋ぎをり
花梨漬け猿梨を漬け日々を漬け
犬の子の従者とならん春の泥
魚住陽子(うおずみ・ようこ) 1951年10月23日~2021年8月22日、享年69.埼玉県生まれ。
★閑話休題・・・犀星「秋ふかき時計きざめり草の庵」(萩原朔太郎・室生犀星『二魂一体の友』より)・・・
萩原朔太郎・室生犀星『二魂一体の友』(中公文庫)、表4の惹句に、
僕等はツバぜり合いの刀の下で、永久に黙笑し合っている仇敵であるーー北原白秋主宰の詩誌への寄稿で知り合い、近代詩を牽引する良きライバルとなった朔太郎と犀星。交流を描いたエッセイからお互いの詩集に寄せた序文までを集成する。それぞれが語る四半世紀に及ぶ友情。文庫オリジナル。
とあって、巻末には、萩原朔太郎の長女・萩原葉子と室生犀星の娘・室生朝子との対談(「第九回犀星忌の集い」1987年3月)が収録されている。それぞれのエピソードが面白い。
撮影・芽夢野うのき「火の玉の砕け散りゆけ秋夕焼け」↑
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