2022年2月11日金曜日

岡田耕治「雪の花死者が働きはじめたる」(『使命』)・・


  岡田耕治第3句集『使命』(現代俳句協会)、帯文は久保純夫、それには、


 何を契機としたのか、/いつからか岡田耕治は/緻密な知識人に変貌していた。

 実業における良質な/経験の深さなのであろう。/彼にはあらゆる状況を/受け入れる柔軟さと、/それを進捗する/意志の力がある。/相手の想いに向き合い、/自らの思想を/丁寧に提示する姿勢。/これはあらゆる場面でも/変わらない。さらに、/いまひとつ指摘しておきたい。/その根底には/少年時代の鮮烈な感性が/今も存在することである。/岡田耕治を/信頼する所以である。


 とあった。また。著者「あとがき」には、


 「生んでくれてありがとう」。後部座席に静まっている母に、そう声をかけようかどうしようか迷っていた。二〇二〇年十二月、クリスマスが近づくなか、九〇歳になる母がPCR検査で陽性と判明。一旦自宅で待機していたが、翌日に自宅から三〇分ほどの市民病院が受け入れてくれることになった。(中略)

 今はワクチンの接種が広がったが、この年の暮れは医療従事者への接種もまだ始まっていなかった。新型コロナウイルスの感染による死亡が相次ぐなか、母の年齢を思うと今が別れになる可能性が高かった。しかし、この言葉をかければ、入院中の母はそれが繰り返しよみがえってくるかも知れない。(中略)

 濃厚接触者となった父と私は、この日から二週間、母の無事を祈りながら実家で過ごすことになった。この二週間は、私に改めて命というものを見つめ直す機会を与えてくれた。本句集名の「使命」は、課せられた任務という意味で用いられることが多い。しかし、この時に私に去来したのは、文字どおりこの命をどう使うかという問いだった。

 句集『学校』と『日脚』は、共に机上の正面から私を見つめている。そこにこの『使命』を立てることによって、日ごとに「この命をどう使うか」という問いを前にすることとする。


 とある。愚生は二十代の初め、さとう野火と久保純を(のちに純夫)が中心になって創った同人誌・戦無派作句集団「獣園」に参加した。そこに、まだ高校生だった岡田耕治が一緒にいた。ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておきたい。


  風光る出口にビッグイシュー立つ      耕治

  水鉄砲振り向いた子に命中す

  一頭でいること久し夏の蝶

  横風の広さを含む噴井かな

    大阪教育大学付属池田小学校

  冬に入る三百を超す非常ベル

  六林男忌の骨が地面を叩きけり

  寒晴や父と母との手を引いて

  香水や時間どおりに訪ね来る

  元号を使わぬ人の蜆汁

  露けしや全力をあげ何もせず

  野に遊ぶことよりも野に在ることを

  郁子僕は僕に生まれてよかったよ

  落葉降る間落葉に留まりぬ

  私をはなれんとする時雨かな


 岡田耕治(おかだ・こうじ) 1954年、大阪府生まれ。



     撮影・鈴木純一「決められたこととはいえど梅香る」↑

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