2022年2月25日金曜日

水野真由美「書かざれば伏字はなけり風花す」(『草の罠』)・・・

 


 水野真由美第3句集『草の罠』(鬣の会・風の花冠文庫)、帯は無いが、カバーの表3側にそっと林桂の惹句が置かれている。それには、


 遊びたりない思いを草の罠に結んで帰ったものだった。

 この小さないたずらは、あす同じ草の道を選ぶ友へのメッセージでもあった。

 水野真由美の俳句のことばも草の罠だろう。転んでくれる未知の読者を待っている。


 とある。また、著者「あとがき」には、


 新型コロナウイルス感染症の「緊急事態宣言」と「蔓延防止等重点措置」は生活の感覚を変えた。誰もがマスクをしていることへの違和感はマスクをしていない人への違和感になった。盛り場の店の一斉休業を最初は戦時下のようだと感じたが何度目かで見慣れた光景になりはじめた。

 生活とはあっけなく変わるものだと改めて思う。平時から戦時へも、こんなふうだったのだろうか。

 何が変わって何が変わらないのか、あるいは何を変えるべきで、何を変えてはならないのかー見えづらくなっている。

 詩は見えづらいモノやコトを見るためにもあるような気がする。

 最短という定型から詩としか呼びようがない一つの世界が立ち現れることが不思議で俳句を読み続け、やがて書くようになったことを思い出す。


 とあった。集名に因む句は、


     しろき人影ーフクシ2017・9・9

   海が海を消してゆく日や草の罠     真由美

 

 であろう。ともあれ、以下に、愚生好みになるが幾つかの句を挙げておきたい。


   遊べる神も田の神も去り再稼働

   まだ種子の遠い空へと登る木よ

     「車窓からはあたしが見える 三年前はまだ若かった」と歌っていたが

     何才の女ならこういうふうに言えるのだろうと思った。銭湯の有線で

     「赤い橋」を覚えた。


   友の背の彎曲を手に緑夜なり


     彼女も私も急いで大人になった子どもなのだ。

   木いちごを摘みつつ母を失へり

   ゆりかごにむぎわらぎくの音のこる

   縄跳びを抜けて一人は昼の影


     高崎市の酒亭「三月兎」店主松岡明氏、同店の句会の翌日、二〇一七年

     十二月十八日、店内にて急逝。日本酒だけを置く店だ。最後の投句は

     「旅の果て山茶花に聞く海の音」「山茶花の命散りゆく闇と寝る」。

     昔昔、高校にも学生運動があった。高崎映画と「シネマテークたかさき」

     を応援していた。

   山茶花の散る音を聞きに行つたのか  

   男らは紙風船を打ち合へり

   葱抜きしより現世の昼澄めり

   いくさ来る見えないいくさの来る枯野

   蜩を日暮れ惜しみと呼ぶ村よ

   くるぶしに初しぐれ来てははの声

   旗手ならずまた鼓手ならず父の夏

   

 水野真由美(みずの・まゆみ) 1957年、前橋市生まれ。




★閑話休題・・水野真由美「山眠り眠れぬ鬼は星を浴び」(「鬣 TATWEGAMI」第28号より)・・

「鬣」つながりで、「鬣 TATEGAMI」第28号(鬣の会)は、創刊20周年記念号である。特集は、「『風花冠文庫』の二〇年」と「阿部青鞋を読む」。前者には、愚生も「風の花冠文庫についてー未来の読者のために」を寄稿させていただいた。また、本号は、「第20回鬣TATEGAMI俳句賞発表」でもある。授賞作は、井口時男『金子兜太 俳句を生きた表現者』(藤原書店)と志賀康句集『日高見野』(文學の森)、慶賀。いつもながら、隅から隅まで充実の誌である。巻頭の特別作品から、一人一句を挙げておこう。


  山茶花の

  ひかりふる

  庭

  あひ別る                深代 響


  とんぼうも飛行機雲も水平に       九里順子 

  銀杏の匂い 削除という手法       西平信義     

  とがった朝のようなピアス      西躰かずよし


(みな)

  見上(みあ)

(つき)の吐息(といき)

(き)き洩(も)らし         中里夏彦 


  

      ・鈴木純一「春の霜消えるためにも光らねば」↑

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