「俳句」4月号(角川文化振興財団)、なかに、角谷昌子の連載「俳句の水脈・血脈ー平成・令和に逝った星々」がある。第11回の今回は、高屋窓秋。その冒頭に、
かつて筆者は長谷川龍生から現代詩を学んでいたことがある。龍生は短歌的叙情を否定した小野十三郎に師事し、「帰りなん故郷へ」の俳句では困ると言った。そんな流星が評価した俳句が窓秋の〈ちるさくら海あをければ海へちる〉だった。落花は古来より日本人の美意識に適う対象で、窓秋自身、「日本人の心を詠った」句で、後年、特攻隊の劇映画に使われたと書いている。海と落花という「ありきたりの素材でありながら、イメージを強く喚起するのは、中七の「ば」の仮定法が単なる説明にならず、因果関係を越えて〈さくら〉が意志を持って散るようであり、単純な海と桜の構図と色彩対比が、なぜか不思議な時空を拓くからだろう。
と記している。また、
(前略)窓秋に境涯詠はないが、当時の句に〈海黒くひとつ船ゆく影の凍み〉がある。自身は逼迫した心のかげり」と自註したが、この影こそ時代の中の窓秋の孤影だ。「別れの言葉」に自分の俳句を「言葉が言葉を生み、文字が文字を呼ぶ、さうした形式主義的な僕の世界」と表した。この頃から窓秋の言葉を主体とする俳句の姿勢は変わらない。(中略)
星影を時影として生きてをり (「現代俳句」H11/1) (中略)
『花の悲歌』は窓秋作品の集大成にふさわしいイメージのラビリンスだ。最晩年の作品の〈星影〉とは星の光のこと。〈時影〉とは時の光の造語だ。この句の影と光は一体となり、宇宙全体を内包して生命の本質に迫る。初期の「白い夏野」は宇宙に変容し、とうとう「時影」の言語空間を出現させた。
平成十一年(1999)一月一日、窓秋は硬膜下血腫のため死去。享年八十八。翌年の「未定」追悼号の三橋敏雄の言葉に「窓秋の俳句は読者を選ぶ」がある。静謐で透明感のある窓秋俳句だが、最短定型詩に魂を片室田作者の血の滾りが伝わってくる。十七音の膨張する宇宙の拍動をしかと受け止めたい。
とあった。その後に「大井恒行氏(「豈」同人)に聞く」の角谷昌子によるインタビューがまとめられているのだが、それは直接本誌にあたられたい。ここでは、愚生の、20数年前の句を拾っていただいたので、感謝を込めて、それを挙げさせていただきたい。
天に蒔く種のひとつは死後の我 恒行
第三次世界大戦前走るつづける蟻の群
空蝉の肉満月に転がれる
撮影・芽夢野うのき「火の玉を投げろとさくら吹雪くなり」↑
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