2022年9月25日日曜日

種田山頭火「どうしようもないわたしが歩いてゐる」(「新・黎明俳壇」第6号より)・・

 

 「新・黎明俳壇」第6号(黎明書房)、特集は「尾崎放哉VS種田山頭火」、「本特集では、気鋭の俳人8人に、伝記によらず俳句の言葉に即して鑑賞をしていただきました。二人の俳句は武馬久仁裕が選び、組み合わせました」とあった。その気鋭の執筆陣は、赤野四羽・山本真也・川島由紀子・千葉みずほ・山科誠・川端建治・なつはづき・横山香代子。ここは「豈」同人のなつはづきの鑑賞文の一部を紹介させていただこう。放哉VS山頭火の句について、


 雑踏のなかでなんにも用の無い自分であつた   尾崎放哉

 一読「大衆の中の孤独を思った。こんなに人がいるのに自分はそこに用はない。(中略)

 「ない」という否定形が「孤独感」を演出しているが、実はこういう雑踏には特に何のかかわりあう理由もない、関わりたくない、という意思表示なのかもしれない。それでも句の中に雑踏(他人)を詠み、どこかで繋がっていたいという複雑な心持を、「自分であつた」と客観視するような視線で眺めている。


どうしようもないわたしが歩いてゐる      種田山頭火

 情報量の少なさで言うと、山頭火のこの句の方が勝っている。何せ「わたしのことし書いていない」のだ。「どうしようもない」は誰の判断なのか。(中略)

 わたしが「ゐる」ではなく「歩いてゐる」と動きを与えることで、逃れたいものの存在を読者に彷彿させる。そう思うと逃げるのも何処かへ向かうのも大差はないのだ。


 と述べている。以下に「黎明俳壇」の特選句とユーモア賞の句を紹介して、挙げておきたい。


 アクリル板で仕切られている雪催   安城市  笘原敏郎(第31回)

 う~寒むと帰れば母の熱いお茶    京都市 梨地ことこ

 春の湖外輪船の動き出す       大津市  近江菫花(第32回)

 岸辺まで五千歩ウオーク鳥帰る    豊田市 甲斐由美子 

 丘ひとつ消え炎天の住宅地     名古屋市   真美子(第33回)

 天の川今宵こそはと手を重ね     岐阜県  中島和也



★閑話休題・・鈴木しづ子「好きなものは玻璃薔薇雨驛指春雷」(「なごや出版情報」第6号より)・・


 表紙に、「おっとどっこい/東海でがんばる出版社あつまれ!」「東海の出版社12社が集結!(愛知・岐阜・三重)とある。このフリーペーパーの黎明書房の見開き2ページの片側一頁に、武馬久仁裕のエッセイ「鈴木しづ子拾遺③」がある。その中に、

 

 鈴木しづ子の有名な句の一つ「好きなものは玻璃薔薇雨驛指春雷(はりばらえきゆびしゅんらい)」を情景から読んでみました。いかがでしたでしょうか。

 現在、九月末刊行を目指し、松永みよこさんとの共著『鈴木しづ子の100句』を制作中です。


とあった。乞うご期待!!


 ここで、『鈴木しづ子100句』に入っていない句を、紹介しましょう。

 実は、彼女は、昭和二十七年に失踪するのですが、確認できる最後の住まいは、名鉄各務原(かがみはら)線の新那珂(しんなか)駅(岐阜県各務原市)へ歩いて行ける距離にありました。

 また、そこは、米軍基地があった各務原飛行場の近くでもありました。

  新涼の新那珂町や兵過ぐる     しづ子

 


       撮影・鈴木純一「おおぜいの神や仏や露むすぶ」↑

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