2014年1月21日火曜日
「合歓」第63号・・・
「合歓」は久々湊盈子が代表を務める短歌誌。久々湊盈子は17歳で「心の花」に入会、後に加藤克巳「個性」に入会している。歌集に『熱く神話を』『黒鍵』『家族』『射干』『あらばしり』など、評論に『安永蕗子の歌』ほか。「憲法九条を考える歌人の会」呼びかけ人。
盈子の姉の長澤奏子は小川双々子「地表」同人。義父が湊楊一郎で、三橋鷹女、中台春嶺、藤田初巳らと出していた俳句誌「羊歯」の編集・発行を手伝っていた。俳句との縁は深い。
その「合歓」で平成24年6月6日、74歳で逝去した長澤奏子遺句集『うつつ丸』の批評特集を組んでいる。
執筆陣は、生前の長澤奏子の所属した句誌、遺句集の刊行に尽力された方や交流のあった俳人のなかから、中村正幸、勝野俊子、今井真子、林桂。
長澤奏子は小説も書いていた。句と小説を納めた『長澤奏子作品集』(南方社)、句集に『水際記』(砂子屋書房)、小説集『星芒』(砂子屋書房)、そして、生前に句集出版を願っていたが、遺句集となってしまった『うつつ丸』(砂子屋書房)が遺された。
『うつつ丸』の帯文は宇多喜代子。以下の様に記している。
長澤奏子には、現実世界のあれこれを軽く楽しい一句に仕立てるというところはない。 自他の存在を、ことばにこだわりつつ作品に残してゆく俳人である。
長澤奏子に会った最初は坪内稔典らと名古屋で俳句のシンポジウムを開催したときであったように思う。武馬久仁裕に会ったのもそのときだったろう。詩人の北川透、今は亡き「地表」の小川双々子、伊吹夏生、白木忠ともそうだったように思う。もう三十数年も前のことだから、愚生に記憶の自信はない。
さみしさのホモ・サピエンス瓜食んで 奏子
寄りかかる言語さびしき秋扇
宇宙にも永遠の団子虫はをらむ
われに賜ふひと世の水や遠雪嶺
墓原のどこも明るき春の昼
己が死を遠くにおきて芋洗ふ
死に近き母の眠りや桐の花
病める腸ぬかれてみれば山粧ふ
病む兎必ず立てよまた跳ねよ
何はさて口腹大事寒茜
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