2014年7月5日土曜日
筑紫磐井選誌上句集「攝津幸彦」と仁平勝選「攝津幸彦の100句」・・・
「俳壇」7月号の誌上句集は攝津幸彦、筑紫磐井選による100句。解説タイトルは「皇国前衛歌の衝撃」とあって、それには「『皇国前衛歌)は戦前の皇国史観を下敷きにしたパロディだと思われているが、皇国対前衛という異種衝突であるだけではなく、皇国=広告というパロディでもあり、俳句であるにもかかわらず歌と名づけられるというさなざまな仕掛けが組み込まれている」とある。攝津幸彦が広告代理店旭通信社の雑誌部社員だったことを考え合わせると納得のいく理解である。この100句選を見ながら、前回のブログの仁平勝つながりで、彼の攝津幸彦100句選(『12の現代俳人論・下』、角川選書)を思い起こした。
つまり、お互いがどのような選句基準で100句を選んだかというところだが、愚生が総合誌に、ある俳人の100句選を依頼されたとすると、自らの好みのいくばくかはあるとしても、一応は人口に膾炙しているであろう句は選に入れるだろう、と思う。その意味で、筑紫磐井の選はそれなりのオーソドックスな選だった、といえよう。それに比べると仁平勝の選句は、自らの俳句観や好みに偏した選句であると言ってさしつかえはないように思える(もちろん、愚生の選句の好みと合っているのも多々あるが)。
典型的な例を一つ挙げておくと、「国歌よりワタクシ大事さくらんぼ」の句は、仁平勝100句選には入っていない。実は先の仁平勝著『露地裏の散歩者ー俳人攝津幸彦』(邑書林)にも収載されたが、初出は攝津幸彦句集『陸々集』(弘栄堂書店・1992年)の「別冊『陸々集』を読むための現代俳句入門」では、その本の帯にもなっている、
これは『陸々集』の思想的な俳句マニフェストにほかならない。デビュー当時《民草やかやつり草こそ意気昂し》や《南国に死して御恩のみなみかぜ》といった一連の皇国ものによって、国家が大事と思う思想を徹底的にパロディ化してみせた攝津が、自らの俳句に関わる思想的な根拠を「国家よりワタクシ大事」と表現してみせたのである。そして現代の俳句の根拠もまたそこにあるのだと、僕はあらためて断言しておきたい。
見事に攝津幸彦の在り様を示した仁平勝の句の読みだったことで、ずいぶん人口に膾炙した句となった。しかし、仁平勝は100句選には入れなかった。虚子選から漏れた「鶏頭の十四五本もありぬべし」のようなものかもしれない。
ともあれ、それぞれ、二様の攝津幸彦句の100選、ちなみに筑紫磐井選と仁平勝選が重なったのが40句、4割だった。
あとひとつ興味深いことがある。攝津幸彦死去直前のほとんど100句に近い、自選96句(未刊句61句を含む『四五一句』抄「南国忌」(『21世紀俳句ガイダンス』現代俳句協会刊・1997年)の攝津幸彦の自選と合わせて三名が重複した句は以下の通り(四五一は華氏の温度で紙が燃え上がる温度、ブラッドベリの小説もある)。
みづいろやつひに立たざる夢の肉
くぢらじやくなま温かき愛の際
南浦和のダリヤを仮のあはれとす
幾千代も散るは美し明日は三越
南国に死して御恩のみなみかぜ
物干しに美しき知事垂れてをり
菊月夜君はライトを守りけり
淋しさを許せばからだに当たる鯛
大古よりあゝ背後よりレエン・コオト
してゐる冬の傘屋も淋しい声を上ぐ
日輪のわけても行進曲(マーチ)淋しけれ
野を帰る父のひとりは化粧して
天心に鶴折る時の響きあり
何となく生きてゐたいの更衣
麺棒と認め尺取り虫帰る
露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな
黒船の黒の淋しさ靴にあり
荒星や毛布にくるむサキソフォン
厳父たれ蚊取線香滅ぶとも
バショウ↑
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