2014年10月21日火曜日

「朱夏」創刊20周年記念祝賀会・・・



一昨日、10月19日(日)、アルカディア市ヶ谷に於いて、「朱夏」創刊20周年記念祝賀会が開かれた。愚生の隣に坐る?はずだった筑紫磐井は腰痛のため欠席とのことだった。
というわけで、愚生の隣には池田澄子。祝賀会に先だって、午前中に行われた「朱夏祭」では、池田澄子が「俳句という器」という講演をしたようで、同じテーブルに坐った八木幹夫ともども「澄子さんの講演が聞けると思ったのに・・・」と少しからかう。
愚生の右隣は内田修、朝日俳壇・歌壇ではおなじみの名である。
主宰・酒井弘司の挨拶は、「新風を求めて20年、広い視野をもって交流、今、咲いているあかままの野の道の半ば」と述べ、その人柄と粘り強い志を感じさせた。このことは当日にいただいた「朱夏20周年記念号」(117号)の冒頭に以下のように記されていた。

  「朱夏」は、常に〈新風〉という旗を立ててきました。月並にならないように。清新へと。
 このことは、時流におもねず自らの俳句表現に徹するということでもあります。
 「朱夏」とともやってきた歳月は、〈持続すること〉〈ぶれないこと〉を自らにいいきかせてきた道でもあります。
 この野の道に立つと、二〇年という歳月は、まだ「道半ば」という思いが拭えません。

愚生などは忸怩たるものがあるが、願わくばこの言のいくばくかでも肝に銘じたいと思った。

帰りに短い時間だったが、八木幹夫、八木忠栄、井川博年、工藤政秀(「朱夏」の表紙絵の画家)、池田澄子とお茶を飲んだ。

「朱夏」の創刊は平成6年8月、季刊。数年前から「朱夏賞」を創設、該当者なしの年もある。今年で第8回。ここでは、各回の受賞者の冒頭句を挙げておきたい。

    炎天や愚直に杉の直立す         中岡昌太
    シベリアの氷平線死者の手立っている 望月たけし
    心太死は遥かとも近しとも         川嶋隆志
    夜の秋指輪さらりと抜けやすし      池畑朝子
    新しき学問に触れ恵方棚         米山幸喜
    天の川詩人はいつも恋してる       清水和代
    天の川いつしか夢の歳おなり       稲垣 愛
    秋浜辺少年ナイフ埋めにくる       日下温水  

末筆に主宰の近年の句を・・・ 

    この星のいのちはいくつ春立てり     酒井弘司
    焦土いま光の中に青山河
    霜立てり軽くなりたるニホン人

                      ムラサキシキブ↑

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