2014年10月2日木曜日
宇多喜代子「夏帽子日ごとに重き真旅かな」・・・
『宇多喜代子俳句集成』(角川学芸出版)に収められた第7句集と称する実質未刊句集「円心」を紐解くと次ような句に目がとまる。
短夜の赤子よもつともつと泣け 喜代子
長崎
臥してみてまことに青き芒原
長崎に夜も崩れぬ夏の雲
隣席はまたも亡き人初桜
終戦といえば美し敗戦日
手鞠唄戦のことも唄いこむ
海へ行くのか天に行くのか流し雛
いつの世の棄民か棄牛か班雪
恐ろしきもの三月の宙より来
並び出て毒かもしれぬ蕨の芽
とりわけ、「長崎」や「終戦」あるいは「いつの世の棄民」には、宇多喜代子はやはり新興俳句の系譜につながる最後の俳人の一人に違いないと思わされるのだった。それは、かつて坪内稔典が宇多喜代子の第一句集『りらの木』が俳壇ではほとんど評価をされなかったことに異を唱えて、弁護をしていたことと重なっている。そのとき坪内稔典は、次のように書いたのだった。
透明な空虚、それが多分、宇多の美意識の核である。この場合、美意識は、宇多の生そのものと同義だが、要するに彼女は、その核心に透明な空虚をかかえこんでいる。さきにあげた一連の句が、きよらかな哀しみともでもいうべき情感を帯びているのはそのためだ。この点において、宇多の俳句は独自であり、森澄雄らの世界と遜色はない。
(初出は「草苑」昭和58年1月号・『世紀末の地球儀』海風社・所収)
そして、宇多喜代子の句法について、高屋窓秋や富沢赤黄男、高柳重信などの句法を踏まえた新興俳句の系譜にうちに自らを置いたものだと指摘していたのだ。
ともあれ、坪内稔典らととも愚生は「現代俳句」に関わり、姉貴分として、常に前を歩いてきた宇多喜代子が、今年第14回現代俳句大賞を受賞したのは実にうれしかった。70歳代の締めくくりの俳句集成といい、これまた「今後の精進の礎」と期すとの宇多喜代子の心映えに敬意を隠しえない。
そういえば、何時頃のことか、もう明確には覚えていないが、何かの会で、関西に出向いたおり、宿もすでになくなり、仁平勝と一緒に宇多喜代子の家に泊めてもらったことがある。夜食にお茶漬け、朝の味噌汁を実に美味しくいただいたことを懐かしく、いま思い出している。
*閑話休題・・・ 集成の宇多喜代子年譜の中で、平成6年のところで弘文堂より『イメージの女流俳句』刊とあるのは、正しくは弘栄堂書店である。この本も愚生にとっては宇多喜代子との有難い想い出のひとつだ。
最後になるが、未刊句集「円心」から今少し、句を引いておきたい。
元日と一月一日とは不同
満身に春風一生はかくも長し
三月十一日以降 原発を円心として
肉を出て肉声となる声涼し
帰らざるあまたあまたや鳰の巣も
夏帽子日ごとに重き真旅かな
いま飲んだ水を涙に夏夕べ
八十になればなつたで汗しとど
腰据えて足袋履くときの左傾右傾
花見茣蓙だれも坐らぬまま湿る
今日生まれ明日死ぬ牛の呱呱の声
リュウキュウスズメウリ↑
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