2014年10月2日木曜日

大峯あきら「短夜の雨音にとり巻かれたる」・・・



大峯あきら句集『短夜』(角川学芸出版)所収。
たしかにそう思う。清澄のしじまのなかにいる気分、どの句でもいい。そのような句が沁みてくる。
他力の信心とは、およそ縁がうすく、通俗煩悩の魔に悩まされている愚生にとっては、いかばかり近づきたい境地であろうか(およそ無理のようですが・・・)。
「あとがき」に「自我のはからいを捨てて、無限者のはからいにまかせた人生は、もはや日の暮れに向かって過ぎ去る人生ではなく、広大な生命世界の開けを告げる暁なのだ、という真理に気づかされるからです」ともある。愚生はただ、諦めきれぬとあきらめているだけで、嘆いているだけなのかも知れません。
大峯あきら・1929年生まれ、85歳。しばらくは、流れ去らない句のあじわいに浸ってみたい。

          東日本大震災
    はかりなき事もたらしぬ春の海           あきら
    みちのくや上りつめたる後の月
    心持ち夕べが早し花茗荷
    初日出てすこし止りて上るなり
          浜名湖
    みづうみに入り来るうしほ雲の峰
    草枯れて地球あまねく日があたり
    よき壺にたまる埃や神無月
    朴落葉はじまる山の日和かな
    元日の山を見てゐる机かな
    春の雪眺めてをれば積りけり
    静かなる盤石に夏来たりけり
    

                  
                   ヤブミョウガの実?↑

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