大峯あきら句集『短夜』(角川学芸出版)所収。
たしかにそう思う。清澄のしじまのなかにいる気分、どの句でもいい。そのような句が沁みてくる。
他力の信心とは、およそ縁がうすく、通俗煩悩の魔に悩まされている愚生にとっては、いかばかり近づきたい境地であろうか(およそ無理のようですが・・・)。
「あとがき」に「
自我のはからいを捨てて、無限者のはからいにまかせた人生は、もはや日の暮れに向かって過ぎ去る人生ではなく、広大な生命世界の開けを告げる暁なのだ、という真理に気づかされるからです」ともある。愚生はただ、諦めきれぬとあきらめているだけで、嘆いているだけなのかも知れません。
大峯あきら・1929年生まれ、85歳。しばらくは、流れ去らない句のあじわいに浸ってみたい。
東日本大震災
はかりなき事もたらしぬ春の海 あきら
みちのくや上りつめたる後の月
心持ち夕べが早し花茗荷
初日出てすこし止りて上るなり
浜名湖
みづうみに入り来るうしほ雲の峰
草枯れて地球あまねく日があたり
よき壺にたまる埃や神無月
朴落葉はじまる山の日和かな
元日の山を見てゐる机かな
春の雪眺めてをれば積りけり
静かなる盤石に夏来たりけり
ヤブミョウガの実?↑
0 件のコメント:
コメントを投稿