2015年2月9日月曜日

飯田良祐「季語は義肢 公孫樹は黄になりませう」・・・



飯田良祐句集『実朝の首』(川柳カード叢書②)。愚生、門外漢につき、プロフィールから見てみよう。
飯田良祐(いいだ・りょうすけ)。1943年生まれ。2000年川柳をはじめる。その後、良祐、銀次、くんじろう(竹下勲二朗)の三人で読みの会「川柳・柳色」を立ち上げ、「川柳倶楽部パーセント」「バックストローク」などに参加。2006年7月29日死去・・・。

   戦争も並んでいるか冷やしアメ            良祐
   背後霊の部屋にハイルヒットラー
   季語は義肢 公孫樹は黄にそまりませう
   切れは膿 濃縮ジュース煮詰まりて
   侘びは枇杷 湖には湖の愁ひあり
   寂びは錆 アパルトヘイトとは如何に
      花は穴 アナクロ三次方程式
   雜は像 ロールシャッハは受けるべし

「季語は義肢」「切れは膿」「侘びは枇杷」「錆は錆」「雑は像」などの呼び起こしの語韻が中七・下五の語や慣用語の措辞に変容していき、批評性を獲得していくように思える。その意味では、川柳の言葉使いは俳句に比して自在である。もっとも、川柳は鋭い批評性をこそイノチとしているのだから、それを手放すことはないし、手放してしまえば川柳としての屹立性がなくなる。川柳と俳句、同じ五七五音の定型を基本としながら深い径庭がある。
樋口由紀子の序文によると自死だという。愚生はもともと川柳の読みについては明るくないので、跋の小池正博の評を以下に借りることとする。

    洛陽の鹿 千遍も干す布団

 「洛陽の鹿」は「洛陽の紙価を高める」から来ているだろう。晋の詩人、左思のエピソードである。当時、紙は貴重品だった。この句ではまず、「紙価」を「鹿」に変えている。では「千遍」は何だろう。「読書百遍、意自ずから通ず」ではないかと思う。つまり、ここには文脈のねじれがあるのだ。洛陽→紙価→読書百遍→千遍という文脈に、鹿→煎餅→布団という別の文脈が混在してくるのである。(中略)
 それでは、そのような作品を読んでゆくには、どうすればよいのだろうか。作者は読みの手がかりをを、それとなく残している。二つのテクストを混在させることにいって一つのテクストにする。作句過程が分かるように一句の中にアリバイが残してある。読者はそれを読みながら、言葉が別の言葉に変容してゆく様相を楽しむことができるのである。
 
その他、以下に愚生好みの句をいくつか挙げておきたい。

    歩行器の太股がやヽ乾きだす           良祐
    白線を引いた 貴女はまたぐのか
    言い訳はしないで桶に浮く豆腐
    卒塔婆かかえてのぞみ自由席
    愛国心何とすばやくたたむこと
    アスパラベーコンはふとモジリアニったりして


                                       サボテン↑

    

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