本日、東日本大震災からまる4年が経つ。「震災とフクシマ」をどのように掘り起こすのかをいまだ語れず、見つけられずにいる。
もちろん、現実的、具体的な展望としては、地球上からすべての原子力発電所の廃棄という選択は未来への在り方を含めて(それが核兵器の保有と結び付いてもいるゆえ)、実現するのが人としての義務であろうことぐらいは確信できる。
かつて高屋窓秋は長い話の最後には、いつも原爆と平和について語っていたことを思い出す。そのたびに愚生はああ、新興俳句の人なんだなあ・・とわけもなく思ったものだ。寺井谷子は窓秋のことを、ミスター新興俳句と言っていた。
ともあれ、本日14時46分、愚生の働いている府中市グリーンプラザでも同時刻に黙祷を捧げた。
もちろん、自然発生的ではない行為だった。数日前、東日本大震災4周年追悼準備室というところから、ご担当者各位として内閣府大臣官房発の事務連絡が届いたことによる。
愚生は一句を献じた。
呼べどもどらぬ片白のふね海や山 恒行
*閑話休題・・・・・
「里」3月号は特集「佐藤文香『君に目があり見開かれ』の開かれ方」で上田真治、堀下翔、喪字男、田中惣一郎に佐藤文香新作俳句と詩が掲載されている。それぞれの論はそれぞれに興味ある評だった(興味のある方は直接に・・)。佐藤文香の「スキー」と題した新作俳句は、表現としては実はどれも現代仮名遣いの方が良いように思えたが、変わらず歴史的仮名遣いで書かれているのは、その違和感を大事にしているのかもしれないとだけ感想しておく。
それよりも、愚生を注目させたのは、「里俳句会 本拠地移転のこと」という告知であった。3.11から、兵庫県尼崎市南武庫之荘に移るとのことであった。メールアドレスは不変とあるので、邑書林も移転してしまうらしい。
「豈」次号57号も4月下旬には出る(なんせ、邑書林発売元ですから)予定である。
ジンチョウゲ↑
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