2015年7月14日火曜日
大屋達治「酒近く鶴ゐる津軽明りかな」(自註現代俳句シリーズ『大屋達治集』)・・
大屋達治は昭和27年4月1日、芦屋市生まれ。「天為」初代編集長にして「豈」同人。
『大屋達治集』(自註現代俳句シリーズ・俳人協会)では、すべてに句の読みのためのルビと約60字ほどの自註がついていて手頃に著者の句の世界をうかがい知ることができる。例えば、掲出の句の自註は、以下のように記されている。
酒近く鶴ゐる津軽明りかな 昭和四八年作
つがる、から、つる、を引き出し、鶴のつく銘柄が多いことから、酒、を連想した。俳句を、言葉から造り上げるという、はじめての経験をした。
このとき、大屋達治は21歳である。本書では小学校6年生の時の句が巻頭に置かれている(ほぼ制作年順)。句は「せせらぎや蝶がとびこむ家の中」で親戚の磁器工場で皿に焼くと言われて書いた即吟の句だそうだ。早熟な少年である。この句の翌々日には長良川鵜飼に一族で連れられて行ったときの、子どもたちには手花火が用意されていたという。「くらい水すきとほらせる花火かな」。
愚生は、大屋達治とは「豈」同人として長い付き合いになるが個人的な事情には、まったく疎い。
次に揚げる句から「私の(房州)遍歴はこのころにはじまる」というほど、以後は、たしかに房州を訪ねた際の句が多い。「ときをりは海(うみ)をほとばしる寄居虫(ごうな)かな 昭和六一年作」。本書に収められているのは第五句集までの作品からの三百句である。つまり、著者の16年前までの作品である。その後の二千句ほどの句があるそうだが、いずれ第六句集として編まれるに違いない。
他のいくつかの句を挙げておこう。
三鬼死すわが十歳の誕生日 平成四年作
日はれどあふみはかすみ端午かな 平成七年作
空蝉の冬なほ縋る浮御堂 平成七年作
この句には「現せ身」と「憂き身」が句の中に隠されているのだと、いう。
白味噌の椀の洛中しぐれけり 平成八年作
仲秋の巒気(らんき)のなかの遠野かな 平成八年作
シモツケ↑
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