京都新聞 8月3日、岩城久治「実作教室 俳句」
京都新聞連載の岩城久治「実作教室 俳句」の記事が送られてきた。愚生の句を、記事中の例句にしたからというものであった。
それには、岩城久治が俳句を始めた昭和32年、つまり約60年近く前に西東三鬼の
「算術の少年しのび泣けり夏」の「
とんでもない文体に出くわしたものである」と記されてあった。
さらにそのコラムの終りに、
われわれ俳人は、俳句、十七音の枠組にこの「夏」を取り入れて無関係な関係性の中でこの一句を止揚して受容する、あるいは創作する俳句の方法論を用いている。近刊の総合俳句誌にも、
山々のかたちは似て非なり晩夏 鷹羽狩行
集団的などてすめろぎのぞまず夏 大井恒行
例句になったのは、もちろん嬉しいことであったが、その8月3日の京都新聞の俳壇の選者の一人に坪内稔典の名があり、かつ、「*豊田都峰急逝のための代選をお願いしました」とあって、迂闊にも「京鹿子」主宰だった豊田都峰の逝去をこの時まで知らなかったのだ(去る7月15日、享年84)。現代俳句協会の総会や愚生のかつての仕事でお世話になったし、「京鹿子」の旧い知人も幾人かいる。
「清潔で端正な抒情句を彼はたくさん残した」とは坪内稔典評。哀悼。
山見えぬ日も山へ咲く桐の花 都峰
ムクゲ↑
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