2015年10月15日木曜日
中嶋いづる「鍵開けてあの世へ続く良夜かな」(「塵風」6号より)・・・
「塵風」(JIMPU・西田書店)NO.6の特集は「駅」。
「つげ忠男京成立石を語る」のインタビュアーは長谷川裕と三宅政吉。そのほか、佐山哲郎、久保隆、仁平勝、東人などが健筆をふるっている。
色々記事があるなか、愚生がもっとも眼が引かれたのは「追悼 中嶋いづる」である。
あの中嶋いづるか?でも、なあ・・そういえば、もう20年以上会っていない、な・・・。
でも、そうっだった。愚生と同じ生まれ年だ。1948年11月。青森県八戸市生まれ。2013年2月没、享年64とあった。知らなかった。
まだまだ逝くには早すぎる年齢だ。
愚生が会ったころ、つまり、現代俳句協会青年部が創設されて間もないころ(ほぼ四半世紀前)、彼は忙しい仕事の合間を縫って青年部の会合によく出席していた。部長は顧問格だったが、阿部完市。実行部隊は、その後にアベカン氏のあとを継いだ青年部長・夏石番矢と愚生らであった。
当時、青年部は論作集として『現代俳句と読み』(現代俳句の展開43・現代俳句協)を刊行し、そこに中嶋いづるも参加している(一昨日、訃報を聞いた山口剛も入集している)。
以下にその折の句を挙げる。
春隣隙間だらけの人に会う いづる
花びらの長距離列車動き出す
亀鳴くや船のなかから郵便車
仰向けに蟬の死いつも無信心
その中嶋いづるは、今号「塵風」追悼の略歴によると、愚生の知らない面がずいぶんとあることに驚いた。
85年、「麦」同人となり、「麦」新人賞を受賞。このころ斉田仁の指導のもと下村まさる、村上博、大畑等、長谷川裕らと百句会を立ち上げる。
廣済堂を退社後の89年個人業としてフォトエッチング加工の営業開始。91年有限会社メルテックを創立。以後十年で同社を株式化し、従業員百人以上の中堅企業に育て上げる。
09年、「塵風」の創立に参加。12年、中央競馬の五連勝単式馬券を的中させ、配当金2000万円を獲得。翌2月、死去。享年64。
幽谷にまだ目の澄みし干した魚 いづる
ハツユキソウ↑
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