島一木句集『都市群像』(まろうど社)は、扉裏に「聖ヨゼフに捧ぐ」と記されている。
そういえば、彼はクリスチャンだったと記憶がよみがえる。かつては「豈」同人であった時期もある。
が、最近は、愚生との音信が絶えていた。
大阪に住んでいた彼は、阪神淡路大震災の時は、毎日ボランティアで、くたくたにになってひたすら眠りにつくのみ、俳句なんて全くできません、という便りを寄越していた。
その後、俳句をやめたのかと思っていたけど、まだまだ健在のようだ。
第一句集『青春譜)以後の1999年から2005年にかけての7年間の作だという。散文もいくつか収められている。その中での彼の俳句観は以下のようなもの。
イメージ多面体としての俳句xは最初からそのことを前提として作られ、さらにその効果を最大限に活かすことに重点が置かれる。ミラーボールやプリズム、あるいはカッティングされたダイヤモンドがいろいろな方向へ光線を反射し屈折させるように、イメージ多面体としての俳句xはイメージを反射して屈折させる。
著者略歴も何もないので、愚生よりは十歳くらい若いのではないかと思うが、杳として不明である。その昔、彼が東京在住の時は、俳句文学館に毎日開館から閉館まで通っていたという伝説がある。
いくつか句を挙げておこう
身に入むや人殺されぬ日のなきは 一木
オリーブもポパイも昔ははうれん草
虫鳴けり無言電話の向かうにも
一日はひとつの祈り雪のあと
ひとに会へざりき菖蒲湯につかりけり
しやぼん玉あがれば空の映るはず
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