大冊の『古沢太穂全集 補遺』(新俳句人連盟)である。A5判、900ページ余の厚みがある。二年前の2013年に古沢太穂生誕100年を記念して刊行された『古沢太穂全集』に収めきれなかった座談会の記録や散文を収めている。巻頭は「展望 その似て非なるもの」1949年5月「俳句人」の「あざみ」4月号の評から始まっている。当然と言えば当然なのだが、最後は古沢太穂追悼で締められている。亡くなったのは2000年3月2日、享年86。
その時はまだ健在だった(数年前より消息不明)谷山花猿は、その追悼文のなかで、古沢太穂について、
作品には、社会的現実を批判的に詠むものが若い時には目立ったが、高齢化にともない集会やデモに出掛けられなくなると、おだやかな抒情句の比重が高まった。
無理して虚勢を張ったような句は避けており、おのずからうまれでる詩情に任せ、「自然流」をもって俳句の心情としていた。弟子たちの上辺だけ勇ましいスローガンめく句は容赦なく切り捨てられ、批判された。粗雑な観念的な「社会批判」は許されなかったのである。(中略)
日本社会の革新を願いつつ、抒情的なリアリズム俳句を詠んだ太穂は、戦後社会性俳句の巨匠として記憶されるに違いない。
と述べている。太穂の絶句は、
神通(じんずう)
川音いつか瞼の枯れの音 太穂
この『古沢太穂全集』と『古沢太穂全集 補遺』の刊行に尽力した新俳句人連盟は来春創立70周年を迎えるという。文字通り戦後俳句の歴史の一端を担い、その評価を思えば、日本の社会を見つめ、戦い抜いてきた時間の在り様が感じられる。
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