2015年12月5日土曜日
山川蟬夫「友よ我は片腕すでに鬼となりぬ」(『高柳重信の100句を読む』)・・・
澤好摩『高柳重信の100句を読む』(飯塚書店)は、高柳重信の作品の解釈・鑑賞のみではなく、自ずから高柳重信の評伝ともなっている。高柳重信編集長時代の「俳句研究」を同編集部において高柳重信を支え、とともに歩んだ澤好摩ならではの、精緻な一本である。
澤好摩は27歳の折に48歳の高柳重信に出会い、高柳重信が60歳でなくなるまで13年間の日日を共にした。
掲句の山川蟬夫は、「俳句評論」句会の折に使用した高柳重信の別号で、一行書きの俳句を書くときの名であった。蟬翁とも言っていたような気もする。その高柳重信の第一句集『蕗子』(昭和25年、東京太陽系社)の、
身をそらす虹の
絶巓
処刑台 重信
句について、澤好摩は以下のように結んでいる。
ここで、重信が試みたものは、現実の報告などではなく、書くことで初めて顕れる世界そのもの―虚構としての言語空間の構築と切れにより生ずる運動性を意識することで、重信は多行表記の可能性を必死に探っていたのである。
『伯爵領』の次の句は、「歌人の泰樹だったか、六〇年安保闘争華やかなりし頃、大学をバリケードで封鎖した学生活動家たちが、この句を口づさみ、また、節をつけて歌ったりもしたというような話を、どこかで読んだか聞いたかしたことがある。いかにもと思わせる話である」と記されているが、今年の安保法制反対の安倍倒せコールとともに、国会前を取り巻いた者のなかに渡辺白泉の「戦争が廊下の奥に立つてゐた」がプラカードに掲げられていた光景に似ているともいえる。ただ、福島泰樹の話は、彼が早稲田大学の闘争に関わったことなどを思いあわせると、たぶん、60年安保闘争ではなく、70年安保闘争に向かう時期の学費値上げ反対闘争から日韓闘争時以後のことだと思われるが、愚生の思い違いか・・・。その句とは、
明日は
胸に咲く
血の華の
よひどれし
蕾かな
愚生がもっとも好きな重信の句は、
しづかに
しづかに
耳朶色の
怒りの花よ
である。澤好摩も指摘しているが、この句は明らかに大手拓次の薔薇連禱に影響されていると思う。
また、この度、本著によって初めて知ったことだが、重信学生時代、「だが、それでも重信は恋をした」の件の句、
成田幸子に
すすき波是非話したき人立てり
多賀よし子に
風たつや紫苑倒れんばかりなり
山本恵美子結婚
君嫁きし此の春金色夜叉読みぬ
の二句目の多賀よし子(芳子)には、愚生は面識がある。愚生があった頃は、渋谷の鬼婆と親しみを込めて言われていたが・・・。そういえば、多賀芳子から直接聞いたことがある。「重信は私のところによく来てたのよ。体調が悪いので、座ることもできずに、いつも横になって句会をしていた」と・・
人恋ひてかなしきときを昼寝かな 重信『前略十年』
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