2016年3月14日月曜日
島一木「明日は枯れる 無花果の木のしげりかな」(『探査機』)・・・
島一木が、昨年10月、句集『都市群像』(まろうど社)に続いて『探査機』(冨岡書房)を上梓した。挿画・山本(月森)桂子、装幀・上野かおる、兄妹本のような印象である。ただ前著は1999年から2005年の約7年間のもの、今著は1980年から2005年までの26年間に発表したものの中から選ばれている。内容も「エピグラム」と題したものやエッセイ、散文詩、短歌、俳句など多彩である。とりわけ「父との半年」の章は、父の癌宣告から始まって、受洗し、奇蹟の地・フランスのルルドを訪ねる旅の逸話、さらに1995年1月17日、午前5時46分には部屋で祈りを捧げている最中に阪神淡路大震災に遭遇する。父はその五日後に天に召されるが、死因は癌によるものではなく、地震のショックによる脳内出血だった、とあった。
そういえば、島一木から、大震災直後から、地震による片付けやボランティアで、朝、目覚めてから夜遅く、倒れ込むように寝て、「今は、俳句なんて全くできません」という葉書をもらったことがあった。
両著はいずれも2005年までの作品収録だから、つまり、ここ10年ほどは何も発表してこなかったのだろうか。
ともあれ島一木こと原正樹の健康と健筆を祈りたい。以下に少しばかり抜粋する。
小学校五年の国語の授業中、「この中で神さまを信じている人、手を挙げて」という先生の質問に、手を挙げたのが私一人だったことがショックで、それ以後、無神論へ傾いた。いつも疎外感や得体の知れない不安に悩まされ、それに反発し挑戦するかのように読書に励み、行動した。(中略)
三十九歳でキリスト教カトリックの洗礼を受けたときは、まるで帰ってきた放蕩息子(ルカ十五章)の気分だった。どんな世界が私の前に開けてくるのか、全く想像すらできなかった。
大なまづ座標を変換して正義と言ふ 一木
魂は 空虚であるほど
多くの殻を
被ろうとするのだ
人に知られることを
恐れて
わが指にのりてレタスを食む鳥の吾より体温高きをかなしむ
北山杉記憶の霧が過ぎてゆく
竹に竹の子果ては子の下駄逃げた
激震のなかに呑み込まれる手足
刈り入れは多い 働き手がいない
主よ 小犬もパン屑をいただきます
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