2016年5月11日水曜日
上田信治「沈丁花中央線が見えるのか」(「里」154号)・・・
「里」の表3には、毎号「成分表」、上田信治のエッセイといおうか、コラムが掲載されている。今号で118回というから、たぶん、連載はもう10年になろうとしているのだ。
表3という裏表紙の位置にあるので、自然に目がいく。雑誌は開かなくても目に入り、つい読んでしまう。毎号いろいろ話の枕を考えて、第三コーナーを回るあたりでは、ときに付会と思えても、とにかく俳句の話題にもってくるのだから、その凄腕に敬意を表していい。
今号も、以下の件はなるほどと、半分これは彼の皮肉なもの言いであろうが、納得がいく。
個々の顔の美しさが抜け落ちたような、集合的イデアとしての俳句美を求めた作家に森澄雄がいる。彼の代表句のいくつかは、固有性を脱落させて「俳句らしさ」だけを残したような、極端なところへ達している。その姿勢を、伝統に着くと言っても俳句性の追求と言ってもいいのだけれど、この世には平均顔よりも、もっとずっと美しい顔があることは、どう考えればいいのか。
さるすべり美しかりし与謝郡 森 澄雄
いわゆる「俳句らしさ」をカッコに括ってみせた上田信治も、もとより「俳句らしさ」などというものが自明のものではない、ということをとっくに承知している。
同号よりいくつか、愚生がお会いしたことがある人の句を以下に・・・
手を洗ふことも勤労感謝の日 仲 寒蟬
影になり障子の影のなかに入る 河西志帆
よく揚がる凧なりよく笑ふ母なり 小豆澤裕子
雉子酒を眞似攝州の大御空 島田牙城
解約の書類複雑もがり笛 月野ぽぽな
立春の座卓に日本国憲法 媚 庵
羽ばたきを撮るその奥を春の川 佐藤文香
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