掲句は、第二句集『春の家』(1976年)所収とあるが、発表されたのは「俳句研究」1973(昭和48)年8月号で、第一句集『朝の岸』(1973年3月)刊行の年と重なる。塚本邦雄は『百句燦々』(講談社)で冒頭、以下のように記している。
何がゆこうと驚くことはない。昨日の空の色など今日は面影を止めず、第一空自体が明日存(あ)るかどうかわからないのだ。せめてその明日、空がまだあることだけは作者が保證してくれたのを僥倖といふべきだらう。
一方、『坪内稔典百句』(創風社出版)のなかでは、薮田惠津子が、現実の光景に仮託して以下のように鑑賞している。
作者の故郷である佐田岬半島では夏、至るところにこの鬼百合が咲くそうだ。作者は幼いころから慣れ親しんだこの花に、言葉にならないような決意を重ねたのだろうか。その決意を秘めるさまが「しんしんとゆく」であり、「明日の空」は、決意が未来へと続くことを読者に想像させる。
坪内稔典29歳の時である。
別の頁でわたなべじゅんこが、輝く『朝の岸』から、二句、無季の句を選んでくれているのは、坪内稔典(当時はとしのり)の出発の困難さを引き受けるにふさわしいことだった。
その二句は、
石蹴りの石消え赤鬼じーんと来る 稔典
塩鯖がかっと目をあけ雑木山
百句の中の残りの無季一句は、『落花落日』所収で藤井なお子の鑑賞は
「『喪の家を出るいくつもの春の道』と共に鑑賞したい」とある。
煮こぼれる死者の家でも隣りでも
オリーブ↑
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