2016年5月9日月曜日
小笠原京「破れ蓮を見に来て寂しがつており」(「翔臨」第85号)・・・
「翔臨」には竹中宏「且翔且臨」という、当該号の句評が見開きページに載っているのだが、それがおよそ一人の同人作品に限られていて、一人の作家像が髣髴と思い浮かぶ。しかも竹中宏の俳句観が色濃く投影されているので、なかなか手ごわいことでもある。例えば、以下のように記される(愚生には、「翔臨」全体が良い意味で一すじ縄ではいかない、しかも多士済済、手ごわいという印象をもっているのだが・・)。
極言すれば「俳句って、なに?」という問いそのものが、近現代俳句史の肩をおしやる最大の原動力だったのであり、、そこに、近代以前の俳諧の知らなかった「不安と恍惚」もまたやどる。不確定なくらがりにむけてひらいた空間を手さぐりするがごとき、俳句形式の個別的で具体的なかかわりである作句行為の蓄積の結果として、そして、そんな実践を経てのみ、すぐれた俳人は、しだいに、かれらなりに、俳句なるものについての確たる認識にちかづいてゆくのである。そうした軌跡が、俳句史の実質部分を形成しているのだといえる。しかし、そうだとすると、すであきらかなように、「俳句って、なに?」という問いは、それじたいが、近代俳句史をつらぬく基本モティーフであるだけでなく、一己の俳人を挑発する強迫観念(オプセッション)、むしろ一己の俳人を生成させる同行者でもあった。この状況は、今日も、なおかわらない。(小笠原さんも、「俳句って、なに?」という同じ問いを発することによって、おなじひとつの俳句の時間の流れのなかを歩んでいることになる。)
(中略)
じつは「破れ蓮を見て寂しがる」という、ほとんど同義反復にちかいセンテンスを、作品として読めるものに転化しているのは、それらの措辞の屈折だけでない。おそらく俳句形式の問題がかかわってくるはずだ。「滝の上に水があらわれて落ちた」といってしまえば、まるでたわいない叙述が、「滝の上に水現れて落ちにけり」という形態をあたえられることによって、みごとな一句になることの秘密と、どこかでクロスするのではないか。そういうばあいの俳句って、いったい、なにか。
話は一転してしまうが、「翔臨」には前述された小笠原京と同地で小笠原信という俳人がいる。親子?でもあるかも知れない。愚生は、小笠原信の作品になぜか魅かれる。題がまずなかなか・・
「不戦序曲」だ。いくつかを以下に、
野馬追ひや追ひ続けねば馬亡ぶ 信
戦争をする国なれば野島流
千羽鶴目なし口なし原爆忌
遺句集を閉ぢて開いて去年今年
尻下に微小噴水去年今年
今号にはほかに久しぶりに上野遊馬の玉文、『島一木句集』評にも接することができた。健在、有り難し。
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