2016年7月30日土曜日
池田澄子「終生英霊なれば終生若し」(『思ってます』)・・・
池田澄子第6句集『思ってます』(ふらんす堂、装幀・和兎)。句集名は以下の句から、
春寒の灯を消す思ってます思ってます 澄子
確かこの句は、3.11東日本大震災の折りに詠まれた句のように記憶している。その背景を思えば、「思ってます思ってます」のフレーズは過不足ない。「あとがき」に池田澄子は次のように書きつけている。
直接には被害を受けていない私、敢えて言えば多くの私たちは、ひたすら人々の無事を祈り心配した。余りの心配と祈りは言葉を受け付けなかった。思いは何の役にも立たなかった。思えば物心付いて以来、当然のことながらいつも何かを思っていた。思うことで行動する場合もあるが、殆どの思いは、何処かに届くわけでもない。俳句はモノやコトを描くことで思いをちらと見せる。が、思いは、何の役にも立たない。
巷間よく言われていることだが、言葉の力とは、何なのであろうか。ひたすら幻視する思いのことなのであろうか。言葉それ自身には、何の力もないのだ。言葉を発する者、言葉を聞く者の関係性がそこに在るだけではないのか。そこに横たわっている沈黙。背景とは前書きのようなものだから、それがなくなれば、思いの普遍性の方に、たぶん傾くだろう。しかし、その普遍性に傾いたぶんだけ、背景は遠のいてゆく。その秤のバランスはじつにかなしい。
池田澄子は愚生より一回り年上である。傘寿に届いたのだろう。
彼女が師と呼ぶ三橋敏雄は79歳で句を発表しなくなった。池田澄子は、その歳を超えて、さらなる未知の世界を創出しようとしているのだ、と思えば、この先を三橋敏雄とはもっと別の道を歩くことになるだろう。是非、遠くまで行くために書き続けてほしいと思う。
本句集においては、以前にもまして死を思う句が多いと感じたのは愚生のみであろうか。
ともあれ、以下にいくつか愚生好みの句をあげておきたい。
無くなりしものは想われ葦の角
花は葉にそれとも花はなかったか
蝦蛄来ませ元旦の灯の畳の上
火星よりも冥土近けれ飛ぶ柳絮
膝抱くと背中遥かや去年今年
夏掛や逢いたいお化けは来てくれず
裏白やあいつ病むとは気にいらぬ
机上に蛾白し小さし生きてなし
被爆死者菊の花輪に気が付くか
指の血は舐めてわすれて敗戦日
夕しぐれ一生一度の絶命に
こんなにも咲いてさざんか散るしかない
母よ貴女の喪中の晦日蕎麦ですよ
わが句あり秋の素足に似て恥ずかし
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