2016年9月29日木曜日
鈴木明「しぐれて二人月面にいるようじゃないか」(『甕 AMPHORA』)・・・
鈴木明第五句集『甕 AMPHORA』(ふらんす堂)は、帯がなく、実にシンプルで、十分に目を引く装幀(和兎)である(ただ、読むときに角背を開ききり、本を閉じると少し歪むのが惜しいかも)。
栞文は筑紫磐井、高山れおな、的野雄、跋文は高橋睦郎と豪華なメンバー。その跋文に、永田耕衣「少年や六十年後の春の如し」を引いて、
昭和十年生まれの鈴木明はげんざい、耕衣がこの句を吐いた年代よりほぼ十歳年上の八十歳代初め。当時の耕衣よりもうすこし死に親しく、それだけに自らの弱年への愛惜の思いもいっそう切実だろう。
だが、鈴木明は老年の感懐と過去への追憶とにとどまってはいない。年ごとに回帰する自然の生命力に改めて讃嘆を送り、現在の若い世代にかつて自分たちを襲った同じ苦難が襲うかもしれないことを真剣に憂えている。それこそが鈴木明の「六十年後の春」、いや七十年後の春なのだろう。
と記している。
以下に、いくつかの句をあげておきたい。
なゐの国非軍のさくら北上す 明
セーラー服の姉の膝上われ三歳(みっつ)
八月二十六日九十一歳姉他界
昼、姉の骨を拾いし夜や長し
光市母子殺害・当時十八歳死刑求刑
「死刑でしょう」二月普通の人の会話
「地震を抑えるネジ」三月の子どもの絵
無礼(なめ)ていやがる水槽鮫のどんより眼
秘密保護法全文肉眼素通りす
戦後七十年思想氷柱の細りけり
昼庭(ひるにわ)を妣の日傘は過ぎ去りゆく
過去を疑う豈、蠹魚(しみ)のみにあらず
ほうたると寝てきた人と橋の上
蜥蜴は刹那跳弾となり穴を出る
未帰還兵兄の幟竿黄ばむ
終章のゴングが鳴った彼岸花
ほな起きてぼちぼち行こか初冥途
東京タワーにたましい入る憲吉忌
六林男の忌ぼくの「内なる天皇制」
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