2017年1月24日火曜日
攝津幸彦「かくれんぼうのたまごしぐるゝ暗殺や」(『鳥子』)・・・
石神井書林のカタログ100号をみていたら、「鳥子 ぬ書房 序高柳重信 初帯 背角少擦 摂津幸彦 昭51 10800」と出ていた。
攝津幸彦の生前、神保町の文献書院に入って句集の書棚を一緒に見ながら、自身の古本に付けられた値段を、他の俳人の句集より、値が高かったりしたら、オレの方が勝った、とか、あの人には負けたとか言って、冷やかしていたことを想い出す(弘栄堂で出した『陸々集』の売れ残りの在庫をどうしましょうか、贈りましょうかと相談したら、処分してくれ、その方が値段が上がるやろ~、とも言っていたなぁ)。あるいはまた、あるとき、愚生が書泉グランデでの抗議集会に参加している最中に、通りかかった攝津幸彦に会ったこともある。もう30年前くらいのことだ。文献書院は、現在も営業していて、店は娘さんが主になって漫画の同人誌やアニメの原画などを扱い、けっこう繁盛しているらしく、句集は隅の方で幾段かの棚に収まっている程度になってしまった。とはいえ、大塚の自宅兼倉庫には、いまだに多くの俳句関連書を蔵していて、主人の山田昌男は高齢ながら健在である(愚生はいまだにお世話になっている)。
詳しい内容は失念してしまったが、小西昭夫らがやっていた「花綵列島」で摂津幸彦特集をしたときに、たしか「『鳥子』で翔んだ」と題して愚生もつたない攝津論をかいたような気がする。
『鳥子』序の高柳重信は、以下のように結んでいる。
だから、摂津幸彦の俳句は、俳句形式を簡便な計量カップのごとく使用しながら、早々と自信にみちて絶えず何かを掬いあげるというような、安易なものではない。むしろ、彼自身は、いつも不安げに躊躇しているが、ときおり、俳句形式の方が進んで姿を現わしたとでも言うべきものが、もっとも典型的な摂津幸彦の俳句であろう。摂津幸彦の俳句の幾つかが、それを実際に見るのは初めてであるにもかかわらず、奇妙に懐かしい感じをもたらすのは、そのためであった。
したがって、摂津幸彦の俳句は、或る意味で非常に俳句的である。それにしても、このうような作品に現実的に出会うまでは、これほど俳句的な俳句が、こんな非俳句的な環境と思われたところに存在し得るなどとは、よもや誰も想像しなかったにちがいない。
しかし、本当にすぐれた俳人は、ただ一人の例外もなく、そのときどきの俳句形式にとって予想もしないところから、まさに新しく俳句を発見することによって、いつも突然に登場して来たのである。
同集よりいくつか句を挙げよう。
亡母まだまひるの葱を刻むなり 幸彦
ふりし旗ふりし祖国に脱毛す
みづいろやつひに立たざる夢の肉
南浦和のダリアを仮りのあはれとす
幾千代も散るは美し明日は三越
南国に死して御恩のみなみかぜ
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