そのうちの一篇「11、ふりさけみれば」には、百人一首の安倍仲麻呂「あまのはらふりさけみればかすがなるみかさのやまにいでしつきかも」の札をとるためにのみ、少年は集中する。結果として他の札をまったく取れないのだ。
ある時、半島の東側に面している軍港の記念館に遠足で行き軍艦に乗る。その軍艦にまつわる英雄譚を聞く度に、自分もいつか死ななければならないと思うと、怯えを感じる。その時の母の話が「日本はもう戦争はしないのよ・・・」の言葉なのであるが、それでも作中の少年には怖いのだった。その結びは、
ある時、半島の東側に面している軍港の記念館に遠足で行き軍艦に乗る。その軍艦にまつわる英雄譚を聞く度に、自分もいつか死ななければならないと思うと、怯えを感じる。その時の母の話が「日本はもう戦争はしないのよ・・・」の言葉なのであるが、それでも作中の少年には怖いのだった。その結びは、
「あまのはら・・・」
と聞こえた瞬間だけは体が瞬時に反応した。「あまのはら」の「ら」まで声がいきわたる前に、彼は「はあい」と大声を出して威嚇し、周りを押しのけて一気に札をはじいた。この勝負、負けるわけはなかった。
当然かれは、百人一首で勝ったことはない。
ところで、記された著者略歴によると、1944年現中華人民共和国北京市鉄匠胡同に生まれ、戦後引き上げて鎌倉市大船に住むとある。愚生が彼を知ったのは、職場の争議の際の相互支援の一環で、他の争議団支援行動をしていた現場だ(愚生は充分に支援したとは言いがたいが・・)。すでにその頃柴田法律事務所の解雇争議を数十年にわたって、たった一人で戦っていたのが彼、佐々木通武だった。その一部始終は『世界でいちばん小さな争議ー東京中部地域労働組合・柴田法律事務所争議記録編集韻会編ー』に纏められている。その長い解雇闘争(約40年間)の合間に、彼は句集を数冊(一冊には短歌も入集している)上梓している。
確か第一句集が『監獄録句(かんごくろっく)』(私家版・2000年刊)、1998年刑事弾圧を受けて逮捕拘留されたときのものである。三冊目が『反射炉』(私家版・2007年刊)、その短歌篇には、
いつよりぞ反テロ戦争きいたふうまがふかたなし治安弾圧 通武
翔ぶことのなき鳥の年明け初むる確定判決その先の生
がおさめられている。因みに『監獄録句』からは、詞書のある句を記しておこう。
ここでは差し入れのバラの棘も凶器として削り取られる
棘なきも茎りんとして香る薔薇
二番目の死刑執行
また一人縊りし獄の冬朝餉
当時は、わが国における死刑制度反対運動もけっこう推進されていた時期だったように思う。
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